2010年9月26日日曜日

ラストペンギンとは?


解説しよう。

その前にまず、ファーストペンギンについて知らなくてはならない。

ご存知の方も多いだろうが、ファーストペンギンとは、本来慎重な気質のペンギン達の中で、餌を得るため真っ先に危険な氷の穴に飛び込む無謀勇敢な者のたとえ。

最初に飛び込むのであるから、敵に出会って逆に餌にされてしまうリスクを負うのだ。

そういった場合、「あ、だめだコリャ」といった感じで、様子を見ていた他の仲間はわらわらと去って行くらしい。
我らの世界でこれを「人柱」ともいう。

 しかし、そういう勇者がいてこそ、後に続く仲間も餌にありつけるのだ。いや~ありがたい事である。
まあ仲間に押し出されちゃっただけ、という説もありますが…。


それならば、ラストペンギンとは? 

そう。最後までモジモジしているヘタレちゃんの事である。

行こうか行くまいかオロオロ迷った挙げ句、結局餌に食いっぱぐれる情けないペンギン。
その決断力に欠ける性格は、とても他人とは思えないのである。

そのわりに、なんか「ラストサムライ」みたいで響きがカッコイイので、今回のブログタイトルにしました。

以前のブログが閉鎖になり、タイトルも変えた事だし、心機一転ゼロからスタートのつもりが、 ホントに記事がゼロで寂しかったため、いくつか昔の記事を引っぱって来ちゃった。今更加筆修正とかもしちゃった。

この往生際の悪さこそ、LAST PENGUINの名に相応しい。


ところでペンギンの話でふと思ったのだが、これってセカンドペンギン一番オイシイ立場だよなあ…。

2010年5月27日木曜日

GIFT

 

私には、心の底から長生きして欲しいと願う命が、三つある。

 

一つは、母。

もう一つは、うちの猫。

そして、あと一つは、伯母、である。

 

うーん。この中にツレも入れるべきなのだろうが…
アイツは日本が沈没しても生きてる筈なので、特に願わなくても大丈夫だろう。
なにより、死は年の順というのが一番理に適っていると思うので(猫は仕方ないが)、この場合、若い世代(含私)は候補に入らない。まあ…とりあえず今んところは。


 

伯母は、母の実の姉で、一人っ子の私からすると「姉妹というものはいいものだなあ」と羨ましくなるほど、本当に仲がいい。

母は、社交的で温厚。楽しい事大好き。おもに芸能界情報に精通していて小栗旬のファン。つまり、悪く言うと少々軽い。
伯母は、無口で短気。喧嘩っ早い。女性ながら侠気(おとこぎ)のようなものを感じさせる人。しかし、悪く言うと少々頑固。

これだけ性格の違う二人が姉妹だというのも不思議だが、この二人がなんでだか大変ウマが合うらしいのだ。

 

伯母の名前は「フジコ」という。

幼い頃はもとより、今でも、母と話をしていてこの名前が出ない事はない。
「フジコ姉(ねえ)がこの間」「フジコ姉が言っとったけど」「フジコ姉と…」
てな感じで、母はとにかく、フジコ姉が大好きなのだ。

 

フジコ姉は、正義の人である。

筋の通らない事、卑怯な事は、決して許さない。弱きを助け、強きをくじく。

役所のお偉いさん相手に丁々発止の大喧嘩をしたり、
女の子を虐める近所の悪ガキ共をぶっ飛ばしたり、
とにかく、武勇伝には事欠かない。

 

フジコ姉には、女、男、男の順で三人の子供がいる。
子供といっても、私にとってイトコになるこの人たちは、三人とも私よりずっと年上である。

長女にあたるイトコが若い頃ちょっとばかりイカス不良だったのだが、現在はもちろんオバサンだ。
ヤンママならぬ、ヤンババというべきか。
当時の不良少女によくある早婚で、彼女の娘(つまり伯母の孫)が私とたった二つ違いなのだから驚きだ。
私が中学生の時、まだ二十代だったと記憶している。ある意味、さすがはフジコ姉の娘、タダモノではないのだ。

この「まあアタシも昔は色々とヤンチャしたもんだよ」といった風格漂うオバサンが、
実母であるフジコ姉がやってくると、高校生のように、吸っていた煙草を隠すのである。
それを見た時、フジコ姉って、なんかすげえ、と思った。
私だったら、小学生のように、慌ててゲーム機を隠さねばならないところだろう。

 

そしてまた、フジコ姉は、大変元気なオバアサンである。

驚くなかれ、彼女は齢八十を越えている。
なのに、真冬の雪降る町中を、薄いジャンパーと七分丈のズボンで、飄々と闊歩する。
周りの人々(含私)は、ドラえもんのように丸々ぷくぷくと厚着のシルエットなのに。
七分丈なのでバッチリ素脚が出ているが、全く寒くないらしい。
私はこの姿を見た時、「ああ、この人と駆けっこしたら負けるな」と思った。(繰り返しますが彼女は八十過ぎ)

 

 

そんなフジコ姉に、今年の母の日、生まれて初めて、ちょっとした贈り物をした。

事の発端は、ツレの「伯母さんにも、贈ろうよ」の一言だった。

母の日。云われてみれば全く違和感がなかった。何故なら、伯母は私のもう一人の母だからだ。

 

 

私の母が私を身籠もった時、母には二つしか選択肢がなかった。

私を産んで一人で育てるか、私を産まないか。

その選択肢に「父親」が含まれない理由は、シングルマザーの多い現代に生きる方々なら、なんとなく理解して頂けるだろう。

現在でも、女一人で子供を抱えて生きていくのがどれほど厳しい事なのか。
ましてや、四十年以上も大昔の、おまけに保守的な田舎町である。

 

さすがに軽い明るい性格の母も困り果てていたところへ、正義の人フジコ姉は、こう言い放ったらしい。

私が育てる、と。

 

手助けするとか、力になるから、とかではない。

私が育てる、ですよ? なんて男前な。


その言葉に勇気づけられて持ち前の軽い明るい性格に戻った母は、なんとかなるさと、出産を決意した。

もちろん母は「その言葉に勇気づけられて子供を育てる覚悟ができた」のであって、決して育児を放棄したわけではない。

しかし無口で頑固なだけあって、いったん口にした言葉は必ず遂行する正義の人フジコ姉。

母が仕事に行き、私が幼くてまだ留守番も出来ない頃、私はいつも伯母の家にいた。

伯母の作ったご飯を食べ、伯母にお風呂で身体を洗って貰い、伯母の子供達と兄妹のように過ごした。
伯母は、行儀が悪いとイトコ達と同じように私を叱り、お祭りになれば私に浴衣を着せ、綿アメを買ってくれた。

確かに、私には、この伯母に育てられた時間があるのだ。

 

 

先日、電話があった。

相手は私の名前を呼びかけた後、いきなりこう云った。 「誰か、わかる?」

この人から電話があるなんて人生で数えるほどしかない珍しい事だったが、
私の名を呼び捨てにする年配の女性の声。母以外では、もう極々限られていた。


私「うん、わかるよ。」

伯母「あのな。えーと。ありがとうな、あれ。母の日。ぷれぜんと。」

私「ううん。」

伯母「今度こっち帰ったらな、ウチに来い。」

私「うん、行く。」


そんな、なんともぶっきらぼうな会話で、短い電話は終わった。

 

電話を切った後、なぜか私は、小さい頃長く通っていた眼科を思い出していた。

三歳位の時、汚い手で目をこすりでもしたのだろう。私は酷い結膜炎を患っていたらしい。
歯科、耳鼻科は子供が怖がる病院の筆頭だと思うが、昔はそれに眼科も含まれていた。
最近の治療は目薬を使う程度で痛くないらしいが、昔は、瞼を直接ひっくり返されたり、注射されたりしたのだ。

眼科に行く前の恐怖だけは、今でもぼんやり憶えている。
私は、母の手を握りしめ、怖くて泣いていた。
順番が来ても、母に抱きついたまま、なかなか診察室に入れなかった。

 

しかし、今になって、その記憶が急に鮮明になったのだ。

あれは、母ではない。私が握っていた手は、母の手ではない。

仕事の時間が不規則でしかも忙しかった母が、毎日のように病院に私を連れて行ける筈はない。

 

私が抱きついて泣いていたのは、伯母だ。

私の手を握って、長い間眼科に連れていってくれていたのは、伯母だった。

 

そんな事を、唐突に思い出していた。

 

 

あと何回、母の日に贈り物が出来るのだろう。

どうして、こんな年になるまで、一度も思いつかなかったのだろう。

伯母は、確かに私のもう一人の母だったのに。

ツレの一言がなければ、ずっと思いつかないところだった。なんとも信じがたいほど、薄情な子供だよなあ。

でも、まあ、いいか。思い出したんだから。

 

来年も再来年も、その次の年も、二人の母に贈り物をしよう。

 

フジコ姉は、不死身の正義の味方だし。

母は母で、無敵のミーハーばあさんだし。

 

あれ? なんだか、あと二十回くらい行けそうな気がしてきた。

 

 

本日の一曲:「ラ・カンパネラ」 フジ子・ヘミング

フジ子・ヘミング。

「聴力」に障害を持つ奇跡のピアニストとして、
クラシック界では異例ともいえる大ブレイクを巻き起こしたので、ご存知の方は多いと思う。

リストとショパンを得意とし、中でもリストの「ラ・カンパネラ」は圧巻。
ピアノ曲の中でも超難度のこの曲を怒ったように弾きこなす。
大胆に、かつ、繊細に。荒々しく、かつ、美しく。
「上手い」というより「圧倒的な何か」で聴衆を魅了する仏頂面のオバサンである。

また、大変な愛猫家でも知られ、「あなたにとってピアノとは?」の問いに
「猫を食わせていくための道具」と返した話は有名。
やっぱりねぇ、偏屈で頑固なオバサンなんだろうなあ、たぶん。
FUJIKOという名の女性はこの手のタイプが多いんでしょうか。
でも、いいの。そんなFUJIKOが大好きよ。
ゴーゴーFUJIKO、遠慮なく、どうかそのままやっちゃって下さい。

 

 

2009年3月4日水曜日

触れもせで

 

私はあまり友人が多い方ではない。

そしてその数少ない友人も、年に一度の年賀状でかろうじて近況を教え合うか、ごくごくたまーに電話で話をする程度の、静かな静かな間柄である。
割とよく逢っているつもりだった友人が先日遊びに来た時も、実際には2年ぶりだった事に気づき愕然としたくらいだ。

面白いもので、性格というものは、別のキャラを演じている筈のゲームの中でも発揮されてしまう。
そう。私は仮想世界においても、やっぱり友達少ないのである。

 

藤山直美さん主演の「顔」という映画の中で
「友達って、おらなあかんの?」という名台詞がある。

顔 [DVD]
顔 [DVD]

冗談抜きで、私の座右の銘であります
私が言うとなんとなーく情けないが、映画を観るとホントに名言だと思う。 

 

それはともかく、大規模なオンラインゲームやコミュニティのみならず、短い言葉や文章の中でさえその人格は顕れてしまうというのは、長年ネットの世界をウロウロしていて実感するトコロである。

 

もう5年近くもプレイしているオンラインゲームだが、最初の頃は、こんな私にもそこそこ知人が出来た。

最初に出来た知人は、行動的というか「押しの強い」人だった。

この人はいつもリーダーをしていて、また、とても知人の多い人であった。
頻繁に対話をくれたし、また頻繁に誰かと話している様子でもあった。
一緒にいると、沢山の人が手を振ったり挨拶をしてくるのだ。
おそらく、リアルの世界でもそうなんだろうなあ、と私はボンヤリ思っていたものだ。

しかし私は、彼を「友だち」と呼ぶのには少し抵抗があった。所詮ゲームの世界の人だから、ではない。

彼にとてもよく似たタイプの人を、現実に知っていたからだ。

頼み事がある時だけ、電話をしてきた昔の友人。
無邪気で明るくて行動力があって憎めなくて、しかし遂に一度もこちらの気持ちも都合も考えてはくれなかった、昔の友人。

彼に頼まれ事をするたび、後味の悪い別れ方をした、昔の友人を思い出した。

 

「急ぎだから」と唐突に頼まれた装備品を生産しながら、心の狭い私は、「頼まれ事は、これきりにしよう」と決めた。

次の頼みをやんわり断った後、彼から二度と対話が来る事は、なかった。

 

 

それから少し経った頃だろうか、新しい知人が出来た。

彼の方は全く逆で、とても内気で静かな人だった。

何度か偶然冒険で一緒になったのだが、言葉数は少ないけれども、その少ない言葉と態度に誠実さと大人っぽさが感じられて、珍しく私の方から積極的にお願いして、フレンド登録してもらった人だ。

彼は恥ずかしそうに、私の事を「初めて出来た知人です」と言ってくれた。

老婆心ながら、彼はリアルの世界でも、友人の「数」は多い人ではないだろうな、と思う。

 

ある日、私のキャラが、とあるクエストで詰まった。
私のレベルでしかもソロで倒すには強すぎる敵を、どうしても倒さなければならなくなった。

こういう場合、リーダーになってパーティを作る必要があるのだが、なにせリーダー属性ゼロの私である。
ゲームに慣れた今でこそ仕方ない場合はする事もあるが、当時の私は、初心者の上、極端な引っ込み思案ちゃんであった。
自分の紹介文に「○○のクエストにどなたか入れて下さい;;」と書いてボーッと待つのが関の山だった。

私は彼にその事を話した覚えはないのだが、突然彼から対話が来た。
顔を合わせれば声をかけあうが、突然の対話とは彼にしては珍しい事だ。

「あるクエストで困っているので、良ければお手伝いして貰えないかな?」という。
あるクエストとは、まさに私が詰まっているクエストだった。

これぞ渡りに舟、である。お手伝いも何もこちらからお願いしたい事である。

ラッキー♪とばかりに指定された場所に行ってみると、なんと彼がリーダーだった。
私に負けず引っ込み思案な彼が、意を決して集めたのであろう高レベルな人たちが集結していて、
「やる時はやるんだなあ」と少なからず尊敬したのを覚えている。
彼の的確な采配で、クエストは難なくクリア出来た。


カンのいい方なら、お気付きでしょう。

彼は私を助けるためにパーティを作ってくれたのだ。私の紹介文をどこからか見て。
しかも私が気を使わないよう、配慮までして。

おめでたい私がやっとそれに気付いたのは、それからだいぶ経ってからである。


余談だが、「なりたい人より、させたい人」という名言は誰が云ったものだったか。
内輪揉めばかりしている日本のエライ人の世界を見ていると、この言葉を思い出す。

 

数年も経って、彼に尋ねた事がある。あの時、本当は私を助けてくれたんでしょう、と。
すると「そんな事があったかなあ。もう忘れました。」とサラリとかわされた。

私が知る限り、彼がリーダーをしていたのは、あの時一回だけだ。
内気な彼にとって決して楽ではなかったであろうあの出来事を、忘れているわけはないのに。

そうだった。彼はこういう人だった。

真のリーダー属性というのは、ひょっとして彼のような人が持っているのかもしれない。

 

 

私も彼も、長い期間プレイしている割には呑気なライトプレイヤーで、時々長い間インしなくなる事は、お互いよくあった。
しかし、彼が毎年楽しみにしていたイベントにも現れなかった時、確信した。

あ、もう、こないな。

はっきりそう思ったのは、私自身が、このゲームに疲れていたせいもある。
呑気なライトプレイヤーが遊ぶには、少々窮屈な世界に変わってしまっていた。
私と彼はなんとなく似ている所があったので、彼も同じように感じていたのだろう。

 

私は、その後四ヶ月の間このゲームを休止し、先日、結局舞い戻った。
五年近くもいた世界がやっぱり恋しくなったのと、周りがどうであれ、自分のペースでまったり遊べばいいやと、思い直したからである。


しかし、未練たらしい私と違い、彼は戻ってこなかった。

 

さもあろう。 彼と私は似てはいたが、こういう所が決定的に違う。

はっきりと見切りをつけた世界に、戻ってくる人とは思えなかった。

彼は、内気ではあったが、一度決めたら、潔く実行する人だったから。

 

 

これは彼がやめる少し前の話だが、もし良ければ自分の装備を作ってくれませんか、とメールが来た事がある。

知人になって実に四年も経ってから、初めての本当の「頼まれ事」だった。

彼と私は同じ職業を選んでいたし、彼の方が高レベルだったので少し不思議に思った。
つまり、彼は私が作るよりいいものを、自分で作れる筈だからだ。

しかし、私は喜んで引き受けた。あれほど張り切って生産した事は、後にも先にも、ない。

 

作った物の中で一番良い出来だった鎧を渡すと、これはお礼です、と自作の鎧を私にくれた。

ほーら、やっぱり作れるんじゃないの。

「友だちが作った装備品を着たかったから。」まるで謝るように、彼は云った。

その時「交換」した鎧は、今も私の倉庫に大切に保管してある。もちろん、手放す事は、ないだろう。

 

 

おもに演出家で知られる久世光彦さんが書いた、「触れもせで」という本がある。

触れもせで―向田邦子との二十年 (講談社文庫)
触れもせで―向田邦子との二十年

よくコンビを組んだ脚本家、向田邦子さんとの二十年を書いた随筆集である。

その中でも、やはりメインタイトル「触れもせで」の話が一番心に残っている。

 

(抜粋)

私は二十年の間に向田さんの体のどの部分にも、ただの一度も触った事がない。
(中略)何も私は邪気のない友情をひけらかしているわけではない。ただ、不思議だと思うのである。
原稿の書き過ぎで向田さんが肩が凝ると言っても、私は気軽に揉んであげようという気になった事がない。
その代わり、帰りしなに私の服にゴミがついてても、あの人は注意してくれるだけで、決して手を伸ばして取ってくれようとはしなかった。
(中略)だから、いったい向田さんが暖かい手をしていたのか冷たかったのか、やわらかだったのか骨張っていたのか、私は知らない。
(中略)決して知る機会がなかったことを悔やんでいるわけではない。もし向田さんが今日まで生きていたにしても、私とあの人の手が触れ合うということはやっぱりなかったと思うのだ。

  

なぜだかはわからないが、私はこの話が大好きなのである。

 

もし、あなたのまわりに、長いこと親しくしているくせに、指一本触った事がない人がいたら、その人を大切にしなさい。

 

と、いう言葉で、この話は締め括られている。

この名文を書いた久世さんもまた、故人になってしまった。

この言葉もまた、私の座右の銘だ。

 


彼と私は、たまに他愛ない話をしたり、思い出したようにゲーム内のメールをやりとりしたりする程度で、端から見ればたいして仲よさそうにはみえない友人同士であっただろう。実際、長い付き合いのわりに一緒に冒険したのは、数えるほどである。

今まで「彼」と書いてきたが、お互いの年齢や性別が話題に上った事もないし、私も彼も尋ねた事はない。

彼のプレイしているメインキャラが男性キャラだったから、というだけだ。

彼の一人称は「私」だったし、女性だったとしても不思議はない。
若い人だったとしても年配の方だったとしても不思議はない。

つまり、現実の「彼」について、私は殆ど何も知らない。

 

ただ一度、私が「大阪は今日は雨ですよ。」と云うと、

「大阪かあ。知り合って何年も経つのに、今初めて知りました、可笑しいですね。ちなみに東京も雨ですよ。」

と返ってきた事がある。

それが、お互いの現実の世界で知る、全てである。

 

しかし、人を助ける時に、「お手伝いして貰えないかな」という言葉を選んだ人だった。

現実の「彼」の、少なくともその一端を、私は知っていたような気がする。

 

 

東京のどこかの空の下、何か楽しい事と出会っているといいな。気の合う友だちと、笑っているといいな。

 

仮想世界の中に出来てしまった「歴史のようなモノ」をふと思い出して、現実の私は、少々感傷的になったりするのだ。

 

 

本日の一曲:「蕎麦屋」 中島みゆき

 

少年、中年男性、老婆、少女、動物…
その視点の多彩さで、一部のファンから「魔女」の異名をとる中島みゆき。
しかしこの歌は、珍しく中島みゆきという人の素の視点が感じられる歌だと思う。

友だちの優しい間の抜け具合とか。
グシャグシャ泣いてる「あたし」の情けなさとか。

なんとなく貧乏くさい蕎麦屋での情景が、目に浮かんでくる。

 

 

2008年8月15日金曜日

健康祈願

 

たったひとつだけ願いが叶うとしたら、何をお願いするだろうか。

才能だろうか。お金だろうか。


私の答えは、決まっている。

健康、である。

 

…と、こんな事を書くと、重い病で入院でもしてるのかと心配されそうであるが、別にそういう訳ではない。
確かに、子供の頃から身体は弱く、現在も少々メンドクサイ持病が、あるにはある。
しかし人よりほんの少し気をつけて、折り合いをつけて生活していれば、深刻な状況になることはあまりない。
まあ、なんだかんだと云いながら結構長生きしそうな、ちょっと鬱陶しいタイプであろう。

 

しかし、病気というのは、なんとなく心を孤独にさせるものではある。

大袈裟に云えば、自分だけが世界から取り残されているような、ポツーンとした気持ちになる。
「ああ、自分がいなくても世界は何も変わらずに回っていくのだなあ…」というような感じ。
そりゃ、自分がいなければ回らない世界だったらそれはそれで責任重大すぎて困るが。
元気な時はそんな事当たり前と思ってるのに、調子が悪くなると「ああ、自分が…」のループにハマったりする。
確かに我ながら鬱陶しいタイプだと思う。

実際、周りの人にしたって、身体が弱いというのは、やっぱり気を遣って下さるワケで。

気を遣わせたり迷惑かけたくないなあと思うあまり、人様との付き合いが悪くなったりする。
自分から人を避けておきながら、やっぱり寂しくなって「ああ、自分が…」のループにハマるのだから、もう本当に始末におえないのです。
病気がどうのというより、性格に難があるのでしょうか。

命にかかわる程でもなし、私の持病など文字通り「少々メンドクサイ程度」のものであると思う。

 

それでもやっぱり、ひとつだけ、と言われたら、「健康」なのである。

 

 

ベットミドラー主演の、「Beaches」という映画がある。

BEACHES
BEACHES

私はこの人のファンで殆どの出演作を観たと思うが、おそらく一番ハマリ役の主演作ではないだろうか。

日本で知られているタイトルは「フォーエバーフレンズ」で、こっちだと「ああ、アレ!」と思い出す方は多いのかもしれない。(しかしこっちのタイトルだと確かに内容はわかりやすいのだが、ちょっと口に出すのが照れくさい。なんとかしてほしい。)

 

そのちょっと照れくさい題名が示すように、ズバリ、女の友情物語だ。

ちょっとガサツな性格の才能あるけど売れない歌手(もちろんこっちがベットミドラー)と、才色兼備で良家の令嬢で優秀な弁護士(こっちはバーバラハーシー)の、三十年に及ぶリアルな友情を描いたお話である。(ちなみにこの人物表現は私の勝手な主観ですが、性格も境遇も異なる二人の話と云う方が手っ取り早いですね)

確かに、泣きました。「Wind Beneath My Wings」が流れるアノ場面で、泣かない人がいようか。

しかし私がこの映画を思い出す時、それは「友」に思いを馳せている時ではなく、「健康」について考えている時なのだ。

 

(↓以下ネタバレ)

 

 

自分の身体が深刻な病に冒された事を知ったヒラリー(バーバラハーシー)は、娘の将来を親友に託したいと、ひとり決意する。
なかなか打ち解けない友と娘をなんとか仲良くさせようと、静養先の浜辺で、ある期間を共に過ごす。

その中で彼女が、「母親の手」を思い出せなくて、昔の写真を探す場面がある。

娘に、ママの手と私の手は似てる、と云われたあと、何かに取り憑かれたように、自分の母の写真を探すのだ。

自身が幼い頃に亡くした母の手を、「思い出せない」のが恐ろしいと云って。


私が最も、心に残っている場面だ。


友と娘が心を通わせる日を誰より望んでいた筈の彼女は、娘が友と浜辺で仲良く歌っているのを見て、友に云う。

「あなたと娘が一緒にいるのがいや。力強く楽しい人と。」

 

私の一番望むものが「健康」なら、一番怖れるものは何だろうか。

彼女が恐れたものと、とても似ているような気がする。

 

 

話は前後するが、前半、売れないクラブ歌手だったCC.ブルーム(ベットミドラー)が酒場で歌っている歌がとても好きだ。

もちろん英語の歌なのだが、うーん…「健康だけが取り柄の自分を自虐的にコミカルに歌った歌」とでもいおうか。

「♪顔は財産っていうけどーだから私は文無しなのねえ~(中略)
宝石もないしお金もないし男もいない~でもまあ、健康だから♪
みたいな歌である。

「Wind Beneath My Wings」や「The Glory Of Love」、「I Think It's Going To Rain Today」など名曲揃いのこの映画の中で、よりによって私が一番好きな歌がコレ。
この歌をフルコーラスで聞きたい、という理由でサントラも買った。
サントラ購入者の中ではかなり珍しい理由であろう。

ベットミドラーがまた、大変失礼ながら、こういう歌を歌わせたら世界一の歌手である。


後年、CC.ブルームは歌手として大きく花開くのだが、映画を二度目に観たとき、このコミカルな歌を歌う一見軽い場面が、深い意味を持って胸に迫ってきた。思えば見事な伏線だったのだ。

 

彼女は、歌の才能という宝石の他にもう一つ、素晴らしい宝石を持っていたわけだ。

 


私が欲しい宝石は、つまり彼女が持っていた宝石である。

ただ、この宝石の欠点は、持っている時はそれが宝石だと気付きにくい点である。

失ってみて初めて、宝石だったと気付く事が多いのが難である。

 

時々失くしてしまう私は、それが宝石だということを、ちゃんと知っている。

それでいて、また時々、失くした欠片をヒョッコリ拾ったりもしている。


ひょっとしたら私は、とても幸運なのかもしれない。

 

 

本日の一曲:「I've Still Got My Health」 Bette Midler

I've Still Got My Health …
かなり自虐的な事を明る~くコミカルに歌っているが、
明るく歌えば歌うほど却って周りを沈黙させそうな歌である。
この歌詞にマッチするタイプの方が目の前で歌いだしたら、
きっと、どうコメントしていいかわからなくて困るだろう。

あまりにも映画の主人公にハマっていたのでオリジナルだと思いこんでいた。
が、洗練された歌詞といい、小憎らしいほど粋なメロディといい、
映画のワンシーンのために作ったにしては名曲すぎるぞ…
と思って調べてみたら、やっぱり原曲があった。
往年のブロードウェイミュージカルの女王Ethel Mermanの持ち歌だったそうな。
この方のバージョンもぜひ聞いてみたい。 

 

ちなみに下の映像の歌は「Wind Beneath My Wings」

仮にもBeachesの事に触れておいて、この歌を無視するワケにはいくまい。
映画の彼女に比べると、グンと年季と貫禄が増したように見受けられるので
比較的最近のライブと思われる。

しかし、さすが歌唱力も魅力も健在。
最近映画の方ではあまり見なくなってしまって寂しいので
またコメディエンヌとしての、お茶目な彼女に会いたいなあ。

  

 

2008年4月25日金曜日

間の悪い人

  

なぜ、よりによって、こんな時に?

私ほど、人生でこの言葉を多用した人間はいないのではあるまいか。

 

一ヶ月ほど前の話であるが、私のプレイしているオンラインゲームが大型アップデートをした。
新章である。普通のゲームでいえば、シリーズの新作発売みたいなものか。

胸躍らせて、3月26日始動、のその時を待っていたのだが…。

ところで、私は「Tomb Raider」(以下、TR)というゲームの大ファンである。
それはもうなんというか、世の中で一番好きなゲームである。
伝説のTRシリーズの1が、装いも新たにリメイクされると知って、一年位前から日本での発売を首を長くして待っていた。日本ではあまり人気がないゲームなので、日本語版は出ないかも…あきらめて英語版をプレイしようかと迷っていた所へ、遂に発売が決定されたのである!ヤッター!

発売日、3月27日。 あ。

そして、冒頭のセリフを叫ぶ事になるのです。

 

一般の人の例でいえば、会社で普段は締まり屋の上司が珍しくお寿司を奢ってくれるというので家に「今日はご飯食べて帰るから♪」と電話したら「今日はカニ鍋だけど?」と言われた気分…という感じでしょうか。一日ズレていれば天国なのに。
いや、TRの場合一日ズレてはいるのだが、ゲームの世界では一日ではダメなのだ、二ヶ月くらいズレてくれないと。

で、結局どっちをプレイしても、片方が気になる…といった感じで、両方中途半端なまま現在に至っている。
どっちかでもちゃんとプレイすればいいのに、何を思ったか、ずっと以前にクリアしたボードゲームとかをプレイしている始末。あげくに、4ヶ月もほったらかしにしておいたブログをよりによってこんな時にどうしても更新したくなった。あきらかに混乱しているといえよう。我ながら自分の行動がわからない。
上のお寿司&カニ鍋の例でいえば、どっちにしようか考えているうちに、うっかり駅前のマクドナルドのダブルバーガーを食べてしまった感じか。

  

しかし、この程度の間の悪さは、私にとっては些細な事だ。

思えば幼稚園の時、楽しみにしていた運動会の直前に盲腸炎で入院したのをオープニングに、私は半端じゃなく「間の悪い人生」を送ってきた。運動会当日、病室から眺めた空は青かったなあ…。

 

大人になってから、なぜ、よりによって、こんな時に?と本気で叫んだのは、今から十年と少し前、長年付き合っていた恋人と別れた日だった。
私の心を映したかのような、激しい雷雨の日であった。

早い話が、人生どん底の日、である。酒でも飲んで布団被って泣きたいのである。

なのに電話がかかる。全く別々の友人から、何故か「恋の悩み」とか「進路の悩み」とか「会社での人間関係の悩み」とか、なんとなく深刻な電話がひっきりなしにかかってくるのだ。相手が深刻なだけに私もつい真剣に話を聞いてしまう。

でも、相手が深刻なのはわかるが、どう考えても私の方が不幸な状況だった。
この状況で私が「人生悪い事ばかりじゃないよ?」と誰かをなぐさめてる図というのは、我ながら可哀相…。

そんな謎の電話がなんと、その日に計九件。(しかも予期せぬ来客が、あの雷雨の中二件)

一日三回電話が鳴っても「今日は電話多いな」と思う私の日常なのだ。
この記録はダントツで、現在も破られてはいない。

 

ところで、世間で「雨女」とか「雨男」とか呼ばれている方々は、ある意味で「間の悪い人」だと私は思う。
個人の力で天候を変えているとは考えにくいので、要するに「実は雨が降る運命の日に、雨が降ったら台無しになるような予定をワザワザ入れてしまう間の悪い人」という解釈、である。

もうお気づきでしょうが、私はキョーレツな雨女でもある。

いや、雨女なんてカワイイものではない。私が旅行などしようものなら、になる。

普段めったに乗らない新幹線が、私が乗ると嵐で止まる。
一時的に止まるレベルではなくて、もう運行の見込みが立たないので強制的に降ろされちゃうクラスです。
しかも乗っていたという事はそれまで普通に走っていたワケで。つまり初めは晴れていたワケで。
私が乗ったから嵐になったのを認めるしかあるまい。数えてみたらそんな事が今まで四回あった。

以前ツレと飛行機に乗った際、天候のせいでやたらめったら揺れた。
だから飛行機は苦手なのだが、苦手なせいでそれまで乗った経験が少ない。
慣れてないから少しの揺れも大げさに感じるのだと思いたくて、飛行機をよく使うツレに「今までで一番揺れた飛行機ってどんなだった?」と聞いたら、しばらくの沈黙の後「これ?」と返された。あれ以来、今度こそ飛行機に乗れなくなった。

学生時代、修学旅行やら遠足やら、楽しい行事はことごとく雨だった。
というか、前記の人生どん底の日が雷雨だったように、楽しくない行事も、とりあえず常に雨だった。
なのに、盲腸で入院してた幼稚園の運動会は晴れてたあたりが、何やら私のその後の人生を示唆していた気がする。

 

頑張って隠していたが、遂に友人達が私を「嵐を呼ぶ女」だと噂し始めた。
その友人達と待ち合わせたある晴れた日、私が待ち合わせ場所に着いた途端どしゃぶりになったのが決定的だったかな~。
拍手喝采を受けたが、もう誘ってくれなくなったし。

 

 

しかし…沢山の嵐の思い出の中でも一番キョーレツだったのは、四年ほど前、田舎の母が入院した時である。

 

私の故郷は山陰なのだが、現在は大阪に住んでいる。
母が手術することになって、母の見舞いと看病に田舎に車で帰ったのだが…。

モチロン、来ました、嵐。というか、大雪。

関西にお住まいの方、少し思い出してみて下さい。雪がめったに降らない大阪ですら、ここ十年単位で考えてもブッチギリの大雪が降った日、ありましたよね? その日です。

大阪でさえそんな記録的な大雪の日に、寒い寒い山陰に向かうというのである。
車で帰るのは危ないのだが、新幹線も飛行機も当然止まっているので仕方ない。
当日ツレが知人に「車で山陰へ行く」と言ったら、死にたいの?と怒られたそうだ。

よく災害系のパニック映画などで、主人公が「逃げている人々とは逆方向、つまり災害の中心部へ向かうシーン」があるが、アレを想像していただきたい。

運転してくれているのはツレだったのだが、最初こそ特殊な状況になんか盛り上がっていた私らも、中心部(豪雪地帯)に近づくにつれて口数が少なくなっていった。
人は真にピンチの時には、無口になるものらしい。
途中何度か本当に遭難するかもと思いながら、通常五時間で帰る道程を九時間位かかって帰った。

故郷のモスバーガーに着いて飲んだ熱いコーヒーは、生きてる!という感じがして美味しかったです。
(まさかこんな日に営業してないだろうと思ったのに、ありがとうモス。店員さんも同じ事思ってたみたいで、客が来てビックリした様子であった)

ちなみに、母が手術するというので、親戚の人達も見舞いに来る筈だったのだが、地元に住んでいる伯母以外で、なんとか病院にたどり着けたのは私らだけという凄まじさだ
ここらへんも映画「ポセイドンアドベンチャー」とかを連想させる。


 

母の手術中、少し一人になりたくて、病院の中庭に出て、懲りもせずに降り続く雪を見ていた。

もしも万に一つ、母にもう逢えなくなったら、私はこの雪を心底嫌いになるだろうな、とボンヤリ思った。


なぜ、よりによって、こんな時に降るの?


でも、悔しいけど、綺麗だなあ、とも思った。

 


一年後には、母の方が関西に来てUSJで遊びまくるほど、元気になってくれた。

雪を嫌いにならずにすんで良かったけど、もう二度と同じ経験はしたくない。

 

ああ、私の間の悪い人生は、これからも続くのだろうか。 

たまには晴れの日に旅行をしてみたい。こんなにささやかな願いなのに。

 

どなたか強烈な「晴れ系」の方、いらっしゃいましたら、どうかどうか私を打ち負かして下さい。

 

 

 

本日の一曲:「たどりついたらいつも雨降り」 ザ・モップス