2007年12月20日木曜日

己の役割


戦闘の要素を含むRPGには、大きく分けて四つの「役割」があるという。

ヒーラー(回復)、ディフェンダー(防衛)、サポーター(支援補助)、そしてご存知、アタッカー(攻撃)である。

 

四つの役割といっても、実際は一人がその役割のいくつかを同時に兼ね備えている事が多いし、いわゆる「花形」の攻撃役以外は、その存在が目立たない事もある。
極端な話、一人のキャラクターのみを操作するオフラインRPGの場合(ゼルダの伝説など)、その性質上一人で全てを担う事になろう。私は勝手に「勇者型RPG」と呼んでいるが。

しかし、そのゼルダの伝説においても、上の四つの役割をちゃんと含んでいる。
ハートや薬でタイミング良く回復し、敵の攻撃をかわし盾で防御し、知恵を絞って敵の力を弱め、スキを逃さず攻撃に転ずる。
ボスクラスになると、闇雲に攻撃しているだけでは決して勝てない。
この四つの要素をうまく組み合わせないと、エンディングを見る事は不可能だろう。やはり面白いゲームだと思う。

ならば、オンラインRPGは「役割分担」するのに、最も適したゲームかもしれない。
オンラインという以上、他者がいる世界。
「他者」がいるのだから、一人で全てを担う必要はない。一人一人は不完全でもいいのだ。
己一人が世界をしょって立つ「勇者」であると、気負う事はないのだ。

しかし。そのかわりに、いつか必ず、他者の力が必要になる。

各々が不完全でその上「他者」なのだから、大抵は、もどかしい思いをする事になる。
時には、不愉快で哀しい思いをするハメにもなる。
他者と関わらなければ知らないですんだ「無力な自分」に気付く事もある。

ただ、一人では決して辿り着けない未知の場所へ行ける事がある。
宝箱に入った「宝石」を、手に入れる事がある。
他者と関わらなければ知らないでいた「自分の力」に気付く事もある。

 

私は、世間のようなもの、と思っている。

 

以下は、私がプレイしている某MMORPGで、実際に経験した戦闘の一コマを妄想演出したものです。
描写が無駄に劇画チックなのは、単なる私の趣味であります、ご了承下さい。

 

 

男は、仲間の後ろで、じっと皆の動きをみつめていた。
戦いが拮抗する中、はやる心を抑え、静かに待っていた。
焦ってはならない。ひとまず仲間の体力は充分だ。
ここで余計な行動をした挙げ句、イザという時に動けなくなったら意味がない。待つ事も自分の仕事だから。

突然、仲間の全員が息を呑んだ。一瞬の出来事だった。

仲間の一人が、敵の渾身の一撃を受け、その刃の前に倒れたのだ。

驚くより先に、男は動き出した。
仲間を蘇らせる唯一の技。自分にしか唱えられない術。
せっかく倒した者をむざむざ復活させてなるものかと、敵達は死にものぐるいで自分を狙ってくるだろう。
そしてなにより、この技を持つ自分が倒れた時、全ては終わってしまうのだ。
怖い。 だが、迷いはなかった。男は仲間を信じて、高らかに宣言した。 「蘇生」と

その声を受けて、鋼の鎧に身を包んだ大男が、仲間を庇うように敵の前に躍り出る。
まかしとけ。奴らの攻撃なんぞ、蚊が刺すほどにも感じねえ。全部まとめて引き受けてやらあ。
そして、自らに誓うように、静かな声で云った。これ以上、俺より先に倒れる事は許さない。
男は両手をいっぱいに広げると、敵の眼前で、声の限りに叫んだ。
「おらおら来やがれ、このへっぽこヤロウども。てめえらの相手は俺だ!」

まったく、いいカッコしちゃって。小柄な女がつぶやく。
あの男ときたら、本当に全ての攻撃を受け止めるつもりだ。
唯一の回復役が蘇生に入った以上、彼への「回復」は少し先になるだろう。
あの愛すべき大男は、どこまで立っていられるのか。
仲間を守り癒す力も、敵をなぎ倒す力も無い、非力な自分に出来る事は?
女は瞬時に判断した。時間を稼げ。敵の邪魔をするのだ。
今仲間を一撃で倒したアイツ。奴だけは自由にしておくものか。
「少し、痺れてもらうわよ。」
そして驚くべき素早さで敵の後ろに回り込み、その後頭部をパコンと蹴った。

 

かくして、「蘇生」の祝福が、倒れた仲間の身体を優しく包む。

気の強そうな顔の女が、むっくりと起き上がる。

ああ、痛かった…。
ふう。手数かけてすまなかったね、みんなありがとう。
美しいしなやかな指で、重そうな剣をヒョイと握り直す。さあて、と。
「それじゃそっちの坊やたち、お返しさせてもらうけど、覚悟はいい?」
そう云って、光る剣先を一直線に敵に突きつけると、片方の眉をツンと上げ、天使のように微笑んだ…。

  

(この物語は仮想世界内の出来事に基づいていますが、登場人物の心理および台詞および一部の動作は、しつこいようですが私の妄想です。


…さて。
この脳内妄想物語をツレに無理矢理語って聞かせたところ、少々引き気味に「そんだけの想像力があれば、さぞゲームも楽しいだろうねえ」と誉めてくれた。ええ、確かに楽しいです。

とはいえ、その戦いは確かにいつもと違っていた。
最初から最後まで、仲間が何をしようとし、自分が何をするべきなのかが、美しい調べのように「聞こえていた」、稀有な戦いだったのだ。

一時間にも及ぶ激闘の末、敵の最後の一人が静かに倒れた時、なにやら現実に感動を覚えている自分がいた。
初めて逢った他人と、これほど息の合った戦いが出来た事に。その「調和」の一環として自分が存在出来た事に。

静かな興奮でボーッと勝利画面を見つめる私の目に、仲間の言葉が飛び込んできた。回復役だった。

「勝った!アンタら最高。涙で画面が見えません(T^T) ほんとにありがとう、楽しかった」

きっと彼の胸にも、よく似た妄想物語が、熱く展開されていたに違いない。

 

「現実」の世界でも、似たような気持ちを経験した覚えがある。

クラス対抗の合唱大会、直前にピアノが壊れ、ぶっつけ本番で友人と共にギター伴奏した時。

負けていたソフトボールの試合、味方の打ったヒットで、髪振り乱してホームベースに向かって走った時。

美術部の共同制作で、皆で「サファリ」を描いていた一ヶ月、ひたすら象、象とつぶやきながら象だけを担当していた私の前に、動物の群れが躍動する「サファリ」が姿を現した時。

 

まるで、宝石をみつけたような、不思議な気持ちになったのを覚えている。

思えば、それらの出来事には共通点があった。

誰かを必要とした事、誰かが必要としてくれた事、そして、その時の「自分の役割」を知った事、だ。

 

人は、己の役割を知ると、自分を、他者を、真に好きになれるのではないかと思う。

そしてその役割は、本人が気付く気付かないにかかわらず、誰もが皆持っているのではないかと思う。

 

私も、未だ、探している。

大人になって、あんな気持ちになれる事は、とんと少なくなった。

でも、私の宝石は、きっとあるに違いないと、今もウロウロ探している。

 

ところで余談だが、先の「妄想物語」で、私が受け持った役割は「サポーター」であった。

ゲームの世界においては、回復役も盾役もアタッカーも一通り経験した。

どれも楽しかったが、なぜだかサポーターが一番性に合っているようだ。

 

他者を守る強さも、癒す優しさも、リードする行動力も無い、非力な私に出来る事は?

 

それが何なのかまだわからないし、ゲームのようには、カッコよくいかないだろうけど。

「サポート」という役割に、私の宝石が眠っているんじゃないかな…と、ふと、思ってしまうのだ。

 

 

 

本日の一曲:「世界に一つだけの花」 槇原敬之

   

この人は「天才」という称号より「人間」という表現が似合うアーティストだと思う。
彼の「名曲」を見つけるたび、この人はさぞ苦労した人なんだろうな…
と、年寄りじみた感想をもらす私。これぞ老婆心というものか。

「そうさ僕らは世界に一つだけの花、一人一人違う種を持つ…」

この歌を聞くと、取り柄のなさそうな自分の中にも、綺麗な花が在るのを知る。
ああ、癒されていく。ありがとう、明日も生きていけそうです。
槇原敬之。 ヒーラー(回復役)としての素質もあるとみた。

 

2007年9月19日水曜日

果てしなき闘い

はじめに: 前々回前回と登場した愛すべき家族達、そして自身に芽生えた愛するという意志。
その姿も真実ではあるが、今勇気を持ってもう一つの現実を書く事で、この「愛の三部作」をシメたいと思う…。)

 

私の生まれた町の方言に「びったもん」というのがある。

その響きから察しがつくかもしれないが、決して決して誉め言葉ではない。

キタナイ、だらしない、怠け者、等々…。

つまり「びったもん!」と言われる事は、「あなたはバッチイひとです」と宣告されるに等しい。

 

さて…私はかつて、この、世にも哀しい名称で呼ばれていたという暗い過去を持つ。

理由のほうは明快である。 私は掃除が嫌いだったのだ。

 

難儀な事に、私の母は大の綺麗好き、であった。

私が半端じゃなく散らかった自室で漫画「つる姫じゃ~!」を読んでいると、ドスドスと音が聞こえてくる。
勇者の聖なる剣(←掃除機)を手に、「悪魔怪獣ビッタモン」を成敗にやってくる正義の足音である。

私は慌てて「大事なモノ、しかし母にとってはゴミ」というアイテムの数々を必死でかき集める。
しかし、勇者の攻撃は素早くかつ容赦なく、私に襲いかかるのだ。もはや勘弁ならぬ!と言うように。

そうして、エクスカリバーの聖なる光(←掃除機)は、私の部屋をピカピカにしてゆく。
フィンガー5のレコードや、「明星」の付録ビューティペアのポスターを、「つる姫じゃ~!」共々ひとまとめになぎ倒しながら…。

 

ひとり暮らしを始めて最初に思ったのは、「やれやれ、これで静かになる」という事であった。

しかし、闘いは終わらなかった。

 

ひとりになって、一週間も経った頃であろうか。

ふと部屋の隅をみると、こんもり埃がたまっている。「埃って、こんなに早く溜まるものだったっけ?」
疑問と同時に、イヤな予感が私の頭を横切る。もしかして…と風呂場を覗いてみると、悪い予感は的中していた。

そこには、黒いカビが、点々とお出ましになっていたのだ。
「こんにちは!これから末永くよろしくね!」というように。

ビッタモンとて、埃やカビを好きにはなれない。ここらへんが中途半端な私。
散らかってるのは平気でも、カビや埃は苦手なのだ。おまけにアレルギー持ちなのだ。

「全ては勇者様のお蔭だったのですね…」 カビキラーを握りしめ、母を想って立ち尽くす。
しかし、おかあさーんと叫んでみても、勇者様はいないのだ。私が闘うしかないのである。

そうして、この100%自業自得の果てしなき闘いは、続いていくのだった。

 

そんなビッタモンにも、恋の季節はやってくる。新生活の中で仲良しのお友達も出来た。

そうなると、その愛すべき人々を「自宅に招きたい」と思う事も増えてきた。

しかし、我が部屋はビッタモンの棲家。常にとっ散らかっていて、そんな事許されるワケがない。
しかも、ソトヅラのいい私は、自分が「悪魔怪獣ビッタモン」である事を、ひた隠しに隠している。

選択肢は二つに一つ。
愛する人々を諦めるか、掃除をするか

私の正体を、誰にも知られてはならない。
人々に忌み嫌われるビッタモンの哀しい宿命(さだめ)…。

意を決した私は、「誰かが来る時だけ」部屋をピカピカにするぞ、と心に誓った。
意を決したわりには、さすが中途半端である。


ある時は飲み屋で「これからアンタんちで二次会!」と勝手に宣言され、ある時は「あと10分でそっち着くから」という電話にウルトラ級のタイムアタックを強いられた。
思えば幾多のピンチがあった。たぶん一部の友人にはバレていたでしょう。

そうして、どうにかこうにか過ごす中、十数年の時が流れた…。

 

 

よく出来た映画には、サプライズがある。
よく出来た推理小説には、どんでん返しがある。
よく出来たゲームには、意外な敵が待っている。

まったく、人生は、よく出来ている。


三十路を少し過ぎた頃、私は現在のツレに出逢う。

私が初めてツレの部屋に遊びに行った日、奴は私を近所のコンビニに放り込み、言った。
「ゆーっくり、オツマミでも選んでて。ゆーっくりね。少なくとも二十分位。」
そうして、脱兎のごとく自分のマンション目指して駆けだして行く。

私はふと、デジャヴのようなものを感じたのだが、その時はそれきり忘れてしまった。
だが、今にして思えばあれが、本当の闘いのゴングだったのだ。


遠慮を忘れた時、人は、その正体を現す。

散らばったカラのCDケースと、そこここに山積されたむき出しのCD盤。
ことごとく蓋の閉まってない調味料の瓶。左右で柄の違うスリッパ。
裏返しのまま丸められたTシャツ、「8の字」のような抜け殻ズボン。
歯ブラシの横に置かれた無意味なシャンプー。何故か押し入れで発見される歯磨き粉。


それらの物と遭遇する度、私は戦慄した。しかもコイツは中途半端ではない。

そんな。チャンとした人だと思っていたのに。ソトヅラだったのかよ!
しかし私の罵声は、虚しく自分に跳ね返ってくるだけ…。

 

己の敵、それは己。 ビッタモンの敵、それは。

嗚呼。こいつこそが最強のボス、「大魔獣ビッタモンキング」だったのだ。

 

私がツレの事を親しい友人に愚痴ると、「因果応報ね」と言う。やはりバレていた。

それにしても天は、なんと見事な裁きを下されたのだろう。

かつて私が倒された聖なる剣(←掃除機)を、今こそ私に握れと仰るのですね?
この大魔獣を成敗せよと。あの勇敢な母のように。
さすれば私の罪は許されるのですね?やっと永い闘いは終わるのですね?

 

しかし、哀しいかな、しょせん私は中途半端なビッタモン。
自分の事さえおぼつかないのに、人の世話まで焼けません。

  

そんな思いを同じくして、私たちは散らばったゴミの中、それぞれの世界へ逃避する。

ある者は惰眠へと。またある者はニンテンドーDSへと。

徐(しず)かなること林の如く 動かざること山の如し

 けだるい夏の昼下がり、ゴミを掻き分け掻き分け、猫だけが無情に通り過ぎていく…。

 

私たちの正体を、誰にも知られてはならない。

来客を報せるチャイムが鳴る。絶体絶命のノックが響く。

 

果てしなき闘いは、今日も続く。

 

 

 

本日の一曲:「今日もどこかでデビルマン」 (デビルマンエンディングテーマ)

  

↑ デビルマンの部分をビッタモンに替えて、みんなで歌ってみよう! 

2007年9月8日土曜日

愛するという意志

 

「愛は、意志の力だと思う」と、その人は云った。

 

遠い遠い昔、恋人だった人が、私に告げた言葉だ。


そして、別れる事もまた、意志の力が必要だと、その人は続けた。

意志を伴わない愛を貫くのが困難なように、愛情が残っているのに、別れる意志を貫くのはきっと困難だろうと。

 

私はモノクロの景色を眺めるように、どこか気持ちの遠い所で、その言葉を聞いていた。

なぜなら、それはつまり、「さよなら」の言葉だったからだ。


「でも、もう、決めた」 と、その人は、静かな凛とした声で、最後に云った。


そうして、その人は遂に意志を貫き、私たちはそれぞれ「一人」になったのだ。

 

 

私は長い間、「愛は意志の力だ」という言葉の意味がわからないでいた。

そして、この言葉に、少なからず反発を感じてもいた。

愛情は意志とか決意とかそういうものではなかろう、もっと自然に湧き出てくるものじゃないのか。
好きだという自分の感情に、ただ素直でいればいいんじゃないの、と。

愛情が残っているなんてまどろっこしい事を云わずに、ただ、嫌いになったと云えばいいのに。

意志の力を借りなければ愛せないという意味ならば、愛してくれなくてもいいよ。


あの言葉の意味がおぼろげながらわかってきたのは、それから二十年近く経ってから。
つまり、恥ずかしながら、かなり最近の事なのである。

 


少し前に「誰も知らない」という映画を観た。

誰も知らない
誰も知らない


カンヌ映画祭で、柳楽優弥くんが史上最年少で最優秀男優賞を受賞した事でも有名な映画だが、
実際に起こった「子供置き去り事件」を元に描かれたこの物語、観る前に覚悟をしていたものの、
やはり重い重い気持ちにさせられる映画であった。

 

まずは、物語の母親に言いたい。この大バカヤローと。

それを最初に叫んでおかないと、この女の立場になって考えてみる、という気持ちになれないのである。

世間から子供の存在を隠して生活し、好きな男が出来たら子供達からトンズラとは。
隠されていた子供たち、その存在を誰も知らない子供たちは、たまったものではない。

この母親に同情する余地はないが、私が愕然としたのは、この母親がこの女なりに「子供たちを愛していた」という事である。

貧しいながらも、じゃれあっているかのような微笑ましい会話をする、家族の食卓のシーン。

この女は、子供達を「好き」なのだ。 


それを知った時、私は思わず、つぶやいた。

でも、それは「愛」じゃない。 そして同時に、自分の言葉に戸惑った。

じゃあ私は一体、何が「愛」だと云うつもりなのだろう。

 

この母親は、私は幸せになっちゃいけないの?と問う。
事もあろうに、自分が捨てようとしている息子に向かって、それを問うのである。


恋愛関係に置き換えれば、よくある話かもしれない。

息子達は好きだが、新しい恋人はもっと好き。何がいけないの?
アナタの事は好きだけど、アノヒトの事はもっと好き。何がいけないの?

親子という状況であったからこの母親の無責任さに憤りをおぼえる。
が、この女が「母親」でなかったとしたら。

感心できる話ではないが、許せない、とまで思っただろうか。

少なくともこの女は、自分を「親」と思っていないフシがある。
息子を「一人前の男」と見て頼り切っているような印象さえある。
自分はか弱い「女」であり、男に「幸せにしてもらう存在」だと。

そんな心の幼稚さが悲劇の要因なのだろうが、もうひとつ私は、この女には決定的に欠けているものがある、と感じた。


この女の愛には、愛するという「意志」が、全く無いのだ。

 

私には、子供はいない。
だから、親の視点に立つ事は難しい。が、子供の視点で考える事は出来る。私もかつては子供だったから。


私の母は今でいうシングルマザーで、生活も、豊かではなかったと思う。
母は親子して生きるために仕事を優先していたから、家の事が後回しになる事も多かったし、私が熱を出しても、仕事を休んだりできなかった。

若い頃心臓の弱かった母は、自分に万一の事があった時のため、密かに「遺言書のようなもの」を書いていた。
私は子供の時何かの折にヒョッコリそれを見つけ、誘惑に勝てず読んでしまった。

おそらく伯母(母の姉)に宛てたものだろう、「娘の未来を頼みます」というような言葉が綿々と綴ってあったのだが、字は下手だけれども「強い意志」の込められたその手紙を読んだ時、あの大雑把な母のどこにそんな深い想いがあったのかと、心底驚いてしまった。それからチョッピリ泣いてしまった。

え~、お母さん、黙ってたけど、アレ、盗み読みしちゃいました、ごめんなさい。


私は、母が帰ってこない事を心配した日は一日もない。

それは、なんと幸せな子供時代だったのだろうと、今にして思う。

 


ところで話は変わるが、現在の私の伴侶(ツレ)は、決して、熱烈な恋の果てに…とかいう相手ではない。
ロマンティックな事も、ドラマティックな事も、あまり無かった。初めてデートしたのもゲームセンターだった。


でも、私が生まれて初めて、この人と一緒に生きてみよう、と思った人だ。

愛とは自由なもの、心のままに形を変えてゆくもの、と思っていた私が、初めて「変わらない明日」を考えた相手である。

 

そんなツレとも、もう十年。四年前に家族に加わった猫と共に、今日も平和に生きている私。

「ねえ、私らが万一交通事故にでも遭ってさー、二人とも一緒に死んじゃったらマズくない?」
「そっか、遺言書いとこう、全財産お譲りしますから、どうかどうか猫をよろしくって。えーと、誰に書く?」

自分たちだけでなく、猫の未来も心配で、真剣に遺言の文面を考えたりしている。

その変な遺言書の白羽の矢が立った気の毒なお友達の方、こんな私らはきっと大丈夫だから安心して下さい。

 

 

そんな生活の中で、ふと昔を思い出す。

「可愛いがってるだけ」で、病気になって様子がおかしいのさえ気付かなかった、昔の愛猫のこと。

「好きだから」何でも許してくれると、傷つけていることさえ気付かなかった、昔の恋人のこと。


私はあの映画の母親とは違う。断じて違う。 しかし、よく似ていた、のかもしれない。


昔の私は誰かとの「未来」を真剣に考えた事など無かった。

自分の感情だけには忠実な、垂れ流しの愛だった。

私の愛には、「意志」が無かった。


だから、あの人は、さよならを云ったのだ。

 

 

こんな風に考えるようになるなんて、私も年をとったってわけかな。

心のままに生きる人生にも、やっぱり未練はあるかな。


とはいえ今だって、心のままに生きてる、といえなくもない。 

もう十年先も、今と同じ場所で、同じ人の横で笑っていたい。それは、心のままの想いだ。


若い自分を思い出すと、甘くて、切なくて、ちょっぴり羨ましいけど。

 

でも、いいんだ。  もう、決めた、のだから。

 

 

 

本日の一曲:「古い日記」 和田アキ子
  

 

 

 

2007年9月1日土曜日

運命の恋

 

それまで私は、「ひとめ惚れ」というものを経験したことがなかった。

 

四年ほど前のある日、私はツレと近所に買い物に出かけていた。
生活用品を買い、食事をし、最後にゲームショップに寄って、ソフトを数本購入した。

さあ、帰ろうという段になって、ツレが「ペットショップに寄ろう。」と言う。またか。
ペットショップは、ゲームソフト店の目と鼻の先にある。この店に来ると、いつもこうだ。

ツレは大の動物好きである。
私が、いつだったかフッと「猫と暮らしたいなあ」と言った事を、しつこく覚えていた。
今日こそ私を「陥落」させるつもりだろう。

私とて、動物は大好きである。ひょっとしたら人間より好きかも、と思うほどに。

しかし、長い間、心の底に澱のような「わだかまり」があったのだ。

 

私は高校生の時、家で猫を飼っていたのだが、私の無知と不注意で病気にしてしまった。

気がついた時には、もう手の施しようがない状態だった。

仕方なかったと、母は何度も言った。おまえは、やるだけの事はやったよ。

でも、私が無知でなかったら。 あのチビの未来は、もう少し長く続いていたんだろうに。


あの日から、私を無邪気に愛し、信じ、ついて回っていた小さな命の面影が、私から離れなくなった。

 

 

ツレは、腹が立つほど明るい性格である。
私がそんな話をしてもおかまいなしに、ニコニコと私をペットショップに引っ張っていく。

でもね、私はもう二度と、猫を連れて帰る日は来ないと思うんだけど。

まあ、親とはぐれてひとりぼっちで雨に濡れているとか、怪我をしてるとか、「助けを必要としている」状況ならともかく。
だけど綺麗なペットショップに、そんな子はいないだろうし。

そう考えていた私は、いつものように気楽に、ペットショップへと足を向けた。

 

 

ガラスの扉が付いた小さな部屋が、マンションのように並んでいる。

その中にいる沢山の子猫や子犬を、順番に覗いていく。みんな可愛い。

 

と、あるガラス扉の前に立ち、私はプッっと吹き出した。

目を半開きにして、なんとも形容しがたい変なカッコで寝ている子猫。

なんだコイツ。寝相悪いやっちゃなあ。どれが手でどれが足だ?


ずっと見ていたい気もしたが、寝てるしなあ。そっとしとこう。

 

再び順番に、他の小部屋を見回り始め、最後の子猫まで覗き終わった。

ふと、さっきの寝相悪い奴を、もう一度見たくなった。帰る前にもう一度、笑わせてもらおう。


急いでさっきの小部屋の前に戻ると、予想に反して、子猫は起きていた。

私が見つめると、奴も私をジッと見る。

さっきは気付かなかったが、他の子猫より、ひとまわり小さい。不安になるほど、小さい。


突然、この子猫の部屋の「真下の部屋」のガラス扉を、店員が鍵で開けた。

隣の親子連れの客に要請されたからだろう、「真下の部屋に入っていた子猫」が、親子連れに渡される。


途端に、「私が見ていた方の子猫」の様子が、変わった。

顔をガラスにくっつけんばかりにして、下の成り行きを見ていたらしいこの子猫は、驚いた事に、ガラス扉の取っ手のあるほう、鍵穴のあたりを、小さい手で、ぱんぱん叩きはじめたのだ。


そこが開く事がわかるの? そこから出られる事が? おまえ、小さいのに、賢いな。


感心して、呆然と眺めている私を、商売熱心な店員は見逃さなかった。

「抱っこしてみますぅ?」という質問に対して、私は質問を返した。

私「この猫、他の子猫と比べて、小さすぎないですかね?」

店員「え?あ。大丈夫ですよ、とーっても健康ですから♪

私の心の声:(そういう意味じゃねえようっ、売りに出すにはちーっと早かったんじゃね?って言ってんだようっ。それにこの子だけ誕生日不明って…まさかおととい生まれたとかじゃないだろーなっっ!?)


私が心の中で気弱なツッコミを入れている隙に、まんまとガラスの扉は開かれてしまった。

なにやら、のっぴきならない事態になりつつあるのを、私は心の遠い所で感じていた。


ワシも出せーと扉を叩いていた、さっきの勇ましさはどこへ。

子猫は、私にガッシとしがみつき、震えて、そのまま離れようとしなかった。

あのガラスの部屋には帰りたくない。 それくらい、私にもわかる。

 

ツレが、勝利の笑みを浮かべた。 店員が、審判のように、私に告げる。

「運命ですよ♪」

 

アンタに言われるまでもない…。 もう、ダメだ。 ゲームセット、だった。

 


この子が初めて家にやってきた日の夜、私には忘れられないシーンがある。


深夜、不意に目を覚ました私は、子猫が眠っているはずのほうを見た。

私が即席にこさえた小さなベッドの中で、子猫は眠らずに私の顔を見ていた。

身じろぎもせず。鳴きもせず。不安そうな顔で、ただ、私を見つめていた。


長い長い間、私を苛んできた小さな面影が、その姿と重なった。

 

いつか。できるだけ遠い将来である事を願わずにはおれないが。

私はこの姿を、想い出すのだろう。

その時こそ私は、どうしたらいいんだろう。

 


少々気弱な所はあるが、今は元気なオトナになった。身体もどーんと大きくなった。

ニャンニャン我儘言いたい放題。控えめだった子猫時代が、ちょっと懐かしくなるほどだ。

 

私を無邪気に愛し、信じ、ついて回る小さな命。


そうか。 いっぱいいっぱい思い出せばいいんだ。

あのガラス扉を、ぱんぱんと叩いていたシーンも。

この子が、自分で未来を勝ちとった場面。 私を運命の恋に、叩き落とした場面。


忘れられなくても、いいんだ。

 


私は、この子の「未来」を、これから眺めようと思う。

それから、ちょっとだけ、そのお手伝いをしようと思う。

忘れられない想い出を、もっともっと増やそうと思う。


ひょっとして、それはなんだかとても、幸せな未来ではないだろうか。 ねえ?

 

 

本日の一曲:「キャンディ」 原田真二

 

 

 

 

2007年7月24日火曜日

言葉の達人

 

世の中には、初期状態や通常の品で事足りるが、お金を出せばもっと快適になる品物がある。
ある、というより、世の中で「商品」と呼ばれるものは、全てそういう仕組みになっているのだろう。

快適になるのならどれも欲しいところだが、勿論そうもいかない。むしろ購入出来ない物が大半を占める。

何にお金を出し、何を我慢するか、というのは、各々の価値観であり個性であろう。
大金持ちならともかく、大概の人は何かを選びまた諦めているのだろうし、それもまた人生の醍醐味かなと思う。

 

さて。私が今までなんとなく欲しいと思い続けながら、10年以上も購入に踏み切れなかったもの。

日本語入力システム。インプットメソット(IM)と呼ばれるものだ。

 

パソコンはもちろん、携帯電話やゲーム機にも、今は必ずといっていいほど入っている。
日本語を入力する時に、なくてはならないシステムだからだ。

パソコンに最初から搭載されているのは、窓PCなら「Microsoft IME」、林檎PCなら「ことえり」。

両機種持っている私は、必然的に両方使っていたのだが、なんというか…普通の歯ブラシを使いながら、やっぱり電動歯ブラシが欲しいなあと思っているような心持ちだった。
特に、ことえりちゃんのオトボケ変換には心和むものもあって嫌いではないのだが、
急いでいる時は和めない。

 ことえりの名誉のために言っておくと、昔のバージョンに比べれば飛躍的に賢くなってはいる。
だが、良くも悪くも「ことえりらしさ」を失ってはいないのである。

 

10年以上も悩むほど高い買い物でもなし、新作のゲームソフトを買うくらいの金額で購入出来るのだから、さっさと別のIMに乗り換えれば良かったのだが、そこは窓&林檎両刀使いの迷いがあった。
そう、両方乗り換えねばならないからだ。どちらか片方だけ入れても、却ってストレスが溜まるだろうし。

一度「EGBRIDGE」なるIMを購入直前までいったのだが、これは林檎機専用で窓版がなかった。
どうせ二本買うなら同じIMで統一したいし、何よりカスタムのIMでもきちんと単語登録すれば、充分に使えていたのだ。そしてダラダラと10年経ってしまったワケです。

 

 最近までそんな日本語入力ライフを過ごしていたのだが、ジャストシステム社が新バージョン「ATOK2007」を発売したのを機に、やっぱり買おうかという気持ちになってきた。
幸いこちらの方は窓版も林檎版も揃っている。そして軽い気持ちでフラフラと公式サイトを覗きにいって、とんでもないものを見つけてしまったのだ。

「ATOK2007 for MacWindows」ですって?しかも5000本限定ですって?
わかりました。このセット、私のためにある。

セットになっているだけあって、二本別々に買うより値段もかなり安い。
私が見つけたときはまだ発売されていなかったのだが、さっさと予約する事にした。
私のためにある!と思った人が、私以外に5000人以上いたらマズイからだ。

そんなわけで、私はやっと、10年来の迷いに終止符を打ったのであった。

 

さて、使用感だが、やはり快適である。日本語をよくご存知、である。
機能が豊富なだけあって自分好みの環境設定にするのには時間がかかったが、一度設定してしまえば、打てば響く心地よさだ。
この長文変換は、ことえりちゃんならオトボケどころよねえ、という文章でも、ソツなくこなす。

このソツのなさと真面目さ。私の好きな明智光秀のようである。謀反は起こさないでほしいが。

 

中でも私が感動したのは、学習機能だ。

ワケあって、牛鬼(ぎゅうき)という言葉を入力した。
どんなワケがあってそんな言葉を入力したのかは説明が難しいので省略するが、とにかく入力する必要があったのだ。

さすがのATOK光秀もこの言葉を一発変換は出来なかった。「牛貴」となってしまった。
これは仕方ないと思い、「牛」を確定した後、「貴」を「鬼」に換えた。するとどうだろう。
ATOK光秀は「貴殿が今入力したこの牛鬼なる言葉を、ぎゅうきで変換できるよう登録なさるか?」と聞いてきたのだ。(注:実際にATOKはこのような口調ではありません) 

二度と入力しない言葉のような気もしたが、なんだか勢いに負けて単語登録してしまった。
なのでこの文章中も「牛鬼」が快適に入力できる。

 

あともうひとつ、推測変換という機能。

これに関しては、携帯電話やWiiの文字入力にすでに使われていたので驚きはしなかったが、私はケータイであまりメールを打たない。
メールは大体PCで済ますので、早い話がケータイの入力システムをほとんど使っていなかった。
便利でもあまり関係なかったのだ。(余談だが、多くの携帯電話やゲーム機に、なにげにATOKがカスタム搭載されている。それはいいけどPCにもカスタムで搭載してもらえないものか。)

ワケあって、玉鋼(たまはがね)と入力した。
どんなワケがあってそんな言葉を入力したのかはやっぱり説明が難しいので省略するが、「た」と入れるだけで玉鋼が候補に出るようになった。
なんだか嬉しいが、再び入力する機会は訪れるのだろうか。


しかしここまで賢いと逆に、ATOK光秀が言葉に強いこだわりを持つ、何か人間くさい存在に思えてくる。
「私に知らない言葉があるなんて、誇りが許しませんから」と思っているような人。
ますます光秀に似ている気がしてきた。
好き嫌いが分かれそうなタイプだが、私はこだわりの強い人は、割と好きである。

人は誰でも、どこかの分野で多少なりともマニアに属するものと思っているので、誰かが得意な分野の事を熱く語り始めるのをみると、微笑ましい気分になるのだ。
たとえば、子供が自分の好きな事を一生懸命話す姿は可愛い、と思う感情に似ているかもしれない。
しかし、大人がやると痛い場合も多いので、ホントに可愛いかは人による。

 

 そうかー。知らない言葉があるのはイヤなんだな、それならば、というので、思いっきりマニアックな言葉を入力してみた。

黒漆塗五枚胴具足(くろうるしぬりごまいどうぐそく)
これならどうだ。伊達政宗の甲冑だ。戦国ファンか某ゲームユーザーしか知らないぞー。

…結果は、「塗」に「り」がついただけで、ほぼ完璧に変換した。うーむ、たいしたものである。

 

じゃあ、これは。

伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足(いよざねぬいのべほとけまるどうぐそく)
これは某ゲームにも出てこないし、私も読めなかった。というか今も読めない。

いや、ちょっと待て。ふりがなと漢字が合わない。「栗色革包」の部分はどこへいった。
少し調べてみたが、やはり読み方は合っている。
栗色革包である事をほっといてもいいものだろうか。

…気を取り直して、ATOK光秀に頑張ってもらった。
伊予座縫い述べ仏丸胴具足。惜しい。伊予と仏丸胴具足は合っている。
しかし栗色革包はやはりスルーされている。この機会に単語登録しといてあげよう。

 

こんなふうにインプットメソットで遊んでいるのは楽しいが、なんだか本末転倒という気もする。
でも、まあいいか。遊ぶという点なら、ことえりの変換もやっぱり味があって面白い。
効率だけにこだわらず、時々は切り替えて使って、和ませてもらおう。

 

 

こんな事をやっているくらいだから、私は「言葉」が好きだ。

人でいうなら、「言葉に魂のある人」が好きだ。


俳句や詩などは、私の憧れの分野である。

本当の「言葉の達人」は、実はシンプルな言葉を使う。

変に難しい言葉を選ばず、短い言葉で何かを表現出来る。 そう、私と反対のタイプ。

そういう人は、話を聞くのも上手だ。相手の話に対して、シンプルだが、心のこもった言葉で応える。

それは、簡単なようで、難しい。


言葉を理解する事は、心を理解する事だと思う。

相手の言葉では語られなかった部分をも「推して」知り、返す言葉もまた、洗練された「変換」を経る。

つまり、変換以前に、相手の心を理解できなければならない。こればかりは「人」にしか出来ない。


本当の日本語の達人は、「翻訳家」だと聞いた事がある。

なるほど、自分の心情でも難しいのに、他人の言葉を、他人の心情を、限られた言葉で代わりに表現するのである。しかも他国の言語を。

何より、決して「自身」が強く顔を出してはならないのだ。

かといって、機械的な作業だと割り切れば、きっとその言葉達は死んでしまうだろう。
文章を書くのに、これだけ難しい条件があるだろうか。

 

名文を書くより、名訳をする方が難しい。

頭のいいインプットメソットと遊んでいるうち、そんな事を考えてしまった。

 

話を聞き、理解し、心のこもった言葉を返す。

入力(Input) 変換(Convert) 出力(Output)


ただ、それだけの、シンプルなこと。

 

でもこれが、本当の言葉の達人なのかもしれない。

 

 

本日の一曲:「愛の言霊 ~Spiritual Message~」 SOUTHERN ALL STARS

 

私が音楽の世界で天才だと思うのはモーツァルトと美空ひばりなのだが、
桑田佳祐という人もそうじゃないかな、とにらんでいる。

 この人の曲は、言葉との融合が傑出している。
初めはナンセンスな言葉の羅列に思える歌詞が、メロディがついた途端、
「これでなくてはならない」言葉に思えてくる。

それに驚いて改めて歌詞を読むと、この人がとんでもない「言葉の達人」だとわかる。
 

「生まれく叙情詩(セリフ)とは 蒼き星の挿話 夏の旋律(しらべ)とは 愛の言霊…」

この歌の言葉達も、「音」が加わって初めて息を吹き込まれる。

 この言葉の達人は、物書きではなく、音楽家を選んだ。 まさに天職。

こういう歌は、いくら頭で考えても作れないんだろうなあ。きっと宇宙からの言霊なのだ。

 

 

 

2007年6月18日月曜日

 

歴史物が好きである。特に日本の戦国時代に弱い。

戦国時代が好きだというと、よく知人達に、「意外だ」と言われる。
知人達の戦国時代のイメージは「男臭い、一騎うち、合戦、刀とか鎧、主君の為にとか何とか…」等々、なんとなーく体育会系の匂いがするらしい。

しかし、私自身は思いっきり文系タイプ。しかも性別は一応女。意外に思われるのも仕方ない。

自分の性格を細かく分析してみると…

小心者、神経質、争い事が嫌い、落ち込みやすい、人望ないので友達少ない、外で遊ぶよりお家で読書が好き、慎重すぎて石橋叩いてもナカナカ渡らない、それなのに追い詰められるとたまにとんでもないことをしでかす…と「文系」というよりタダの暗い人かもしれぬ。

そして、「決してリーダーになってはいけないタイプ」の人間である、という事だ。

考えたり調べたりする事は好きなので、平常時であれば丁寧にキチンと事を進められるのだが…、

とにかくピンチに弱い。そして大きなチャンスは逃がす。

準備万端のはずが、大事な時に判断を誤り、頭真っ白になる。ここ一番の大勝負にはなぜか勝てない、それが私なのだ。なんか書いてて情けなくなってきました。

 

さて、そんな私が好きな戦国武将は「明智光秀」である。(ここで笑った方は、戦国通。)

そう、あの「本能寺の変」の明智光秀。
彼が誰に対して何をしでかしたかは、さすがに詳しく書くまでもないだろう。

ファンであるからして、色々な本を読んだ。ドラマや映画もいっぱい観た。
そんなふうにたくさんの戦国ものに触れて思った事は、なんとまあ、作家や脚本家によってこれだけ解釈が違うものかということだ。
もちろん史実を基本としているが、その解釈は千差万別。
百の物語には百人の光秀がいるといっても過言ではないだろう。

そんなわけで、私の胸にも「私だけの明智光秀」がいる。
私が好きなのは、その「私のイメージした光秀」であって、実在の人物というより、もはや妄想キャラのようなものだ。
そんな自分だけの解釈と、人様の解釈を比べられるのも、歴史小説の面白い所だと思う。

 

 

以前、堺屋太一氏の「鬼と人と」を読んだ。

鬼と人と―信長と光秀 (上巻) 鬼と人と―信長と光秀 (下巻)

この小説は、「鬼」である信長と、「人」である光秀の独白が、交互に綴られる。
章ごとに、同じ時間軸の状況をそれぞれの視点で語らせる面白い手法だ。

ただ、堺屋氏があとがきで「主観性の強い天才を解き明かすには信長自身に語らす以外になく、その主観性を批判する記述を補うには秀才光秀の口を借りるほかはない」と書いておられるように、この小説の主人公はやはり信長だと感じた。

信長が「このキンカ頭が」と光秀を打ち据える有名なシーンでも、心の中で、ヤバいひっこみがつかなくなったぜ誰か止めんかコラ、みたいな事を思っていたりして妙に信長が可愛くて魅力的なのに対し、いつもビクビクしているだけの光秀は、ファンとしては少々哀しい。
「信長ヒイキしすぎ」「光秀情けなさすぎ」と何度かツッコミを入れてしまった。

つまり、私のイメージした光秀像とは少し違うのだが「その情けない光秀」の極めつけが、本能寺の変の後の最終章だ。

本能寺後ということはつまり、最終章に信長の独白は無い。光秀の独壇場である。

 

謀反人が誰かを知った信長が、瞬時に死の覚悟をしたほど「綿密」な男、明智光秀。

だが目的を達した後、全てが後手後手になっていく。

本能寺後、秀吉に討たれるまでの数日間、「またしても先を越された」と何度も悔悟の念に苛まれる光秀。
補佐役からトップに立った途端、それまでの彼からは考えられないほど稚拙な失敗を繰り返す。

彼ほど用意周到な男が事もあろうに「準備不足」で、泥のように破滅していく様は、背筋が寒くなった。

 

私は魅入られるように読んだ。光秀というより、自身の姿のように思えたのだ。

「いかがいたしましょうや、上様」

自らの手で討った主君の幻にそう問いかける姿は、胸を衝いた。

 

さっきも書いたように、光秀が本能寺の変に至るまでの心情の私の解釈は、この小説とは少し違う。

しかし、最終章は、私のイメージしている光秀像にかなり近い。

自らの意思で「敵」にした信長を最後まで、上様、信長様、と呼ぶその性格描写も、さりげなく見事だ。

最悪の敵。しかしかつては自身の「長所」を見抜いてくれた唯一の、最大の理解者でもあった恩人。

光秀の、信長に対する心情を想像すると、なんとも哀しい気持ちになってしまう。

 

本能寺では敗者の信長が、炎の中で、華やかといってもいい最期を遂げたのと対照的に、勝者のはずの光秀は、その後の山崎の合戦で敗走中、落ち武者狩りに遭って死んだと伝えられる。

一瞬とはいえ天下人となった男の最期としては、あまりにも無惨だ。

 

よく小説やドラマで、信長は「太陽」、光秀は「月」にたとえられる。

 

太陽を落としてしまった月。 光を消してしまった影。

光を無くした影は、もはや影ですらなく、そこにはただ闇があるだけかもしれない。

 

天下の知将明智光秀にわが身ごときを重ねるのは僭越に過ぎるが、私が光秀を好きなのは、彼の「弱さ」に共感する部分が多々あるからだ。

知将といわれた光秀が、なぜ本能寺「後」の事を考えなかったのか。

彼ほどの男が予測していなかったとは思えないし、予測していたとしたら、その後の戦略の稚拙さと準備不足はあまりにも彼らしくない。

色んな説が本になっている。
私はその色んな説を楽しく読み比べているだけのミーハー歴史ファンなので、どの説が正しいかは勿論分からない。

 

しかし、子供の頃から「太陽と月にたとえるならば、月」と評されてきた私は、ふと思う。

 

彼は、一度だけ太陽になってみたかったんじゃないかな。

だけど、自分は決して太陽になんかなれない事も、わかってたんじゃないかな。

決してなれないのに「なった後の準備」なんて、するわけないじゃん。


本物の歴史愛好家の方々に怒られそうな、そんな感想を持ってしまうのだ。

 

 

 

本日の一曲:「荒城の月」 滝廉太郎

 

荒城の月。
滝廉太郎作曲のその哀切な旋律はもちろん、土井晩翠の歌詞がまた素晴らしい。

荒れ果てた城を、淋しい月の光が照らす。
遠い昔、花の宴の栄華を照らした同じ月が。
情景を静かに綴りながら、栄枯の移ろいの哀しさを見事に表現した名曲。

重厚な男性の歌もいいが、私は女性ボーカルの安田祥子・由紀さおりバージョンが一番好きだ。
残念ながらこの方達の動画を見つけられなかったので、佐藤しのぶさんバージョンで。
この方の歌声もさすが美しい。
ただ私が一番好きな歌詞の三番がカットされているのが残念ではある。

思うに、
この哀しく美しい曲には、高く透明感のある声の方が「月の光」を感じるし、
情景を綴った客観的な演出には、武士ではない女性の声の方が却って胸に迫る気がする。

「今荒城の夜半(よわ)の月、変わらぬ光誰がためぞ」と問いかけても、
「垣に残るはただ葛(かずら)、松に歌うはただ嵐」のみである。 

 

 

2007年4月30日月曜日

花見で一杯、月見で一杯

 

数年前実家に帰った時、家のタンスから古い「花札」が出てきた。

もうボロボロに擦り切れて絵柄も色あせていたが、私は懐かしさで胸が詰まった。

 

私が生まれて初めて夢中になったゲームは、花札である。

懐かしさのあまり、ケースを眺めていて、今度は笑ってしまった。
「大統領」という名称のその花札のケースには、「任天堂」と書いてあったからだ。
そう、あの任天堂製、だったのである。
任天堂が「花札を作る会社から始まった」のは知っていたが、自分が持っていた花札もそうであったとは思い至らなかった。

任天堂のゲームというと「子供っぽい」と敬遠する大人のゲーマーも多いが、私は逆だと思っている。
「大人も子供も楽しめる」のであって、こういうゲームは「本物の大人」でないと作れない。
他のジャンルでもそうだが、大人が大人の狭い視点だけで「子供用」の物を作ると、実は子供は見向きもしない。
大人が面白いと思わなければ、子供も決して面白いとは思わないものだ。

マリオやポケモンやピクミンやゼルダを遊んだ人は、お分かりかもしれない。
ゲームの面白さはもちろん、大人がクスっと笑う粋なセンスが散りばめられている。
あのゲームを作った人は、実はすっごい大人なんじゃないかと思った。

花札のケースを眺めながらそんな事を考えていて、同時に、ある人物の事を想った。

当時私の心を摑んで離さなかった、ひとりの大人の事を、である。

 

私が花札のルールを知ったのは、小学三年生の頃と記憶している。教えたのは、なんと母親。
暇な時遊ぶ相手が欲しいから、という、親としては如何なものかと思う理由であった。

花札は、一月から十二月の季節の花が各四枚、花鳥風月をとり入れた美しい絵札を使った遊びである。

「こいこい」「はちはち」「花合わせ」など色々な遊び方があるが「役を作る」という行為は共通していると思う。この「役」もまた、情緒があって、美しい。
二人で遊べるものもあるし、三人以上で遊べるものもある。

母と二人だけで遊ぶのも飽きてきた頃、母の親しい友人が面子に加わる事が多くなっていった。
そして私自身が、この母の親友がいないとつまらないとまで思うようになっていった。

 

この母の親友「金子さん」は、その名前から「かねこみそ」と呼ばれていた。

私は人見知りの激しい子供だったので、ずっと年上の人をニックネームで呼びすてなんて考えられなかったし、今でも出来ない性格だ。
しかし「かねこみそ」だけは別だった。今考えると、私の性格からして奇跡的な事である。

この人は当時30歳そこそこの若い女性、今でいう「ちょいワル」な人で、性格は個性的&ハード。
ちょっと不良がかったお兄さんを「兄貴」のように慕うというのは、少年にはよくあると思うが、少女にもある心理なのだろうか。
私はこのハチャメチャに個性的でハードな性格の女性を姉御のように慕い、いつしか金魚のフンのようについてまわるようになった。

「かねこみそ」は、母や親戚以外で私の名前を呼び捨てにする唯一の「大人」であり、
私が初めて心底なついた唯一の「他人」でもあった。

 

彼女は、私を子供扱いしなかった。

彼女と遊ぶ花札は、同年代の友人と遊ぶトランプとは違い、スリルと興奮があった。

あれはもはや「博打」に近いものではなかっただろうか。実際に色んなものを賭けていたし。
負けたら使い走りをさせられる、というような可愛いものではあったが、そこはハードな性格の彼女の事だ。
容赦なくホントに一日こき使われるハメになるので、おめおめ負けたくはない。私はいつも真剣だった。

 

彼女は負けると私に潔く与え、勝つと私から容赦なく奪った。

 

彼女は私を子供扱いせず対等に付き合ってくれたが、彼女自身は決して「子供」ではなかったように思う。

彼女は私に負けると本気で悔しがり、そのあと同じように本気で私を褒めてくれた。

「うーん、おまえは強いなあ。本当に賢いなあ。」

私にとって、勝った時の一番のご褒美は、この言葉だったのかも知れない。

40歳を過ぎた今になって思い返したら、人生で私を最も褒めてくれた人は、彼女であった。

相手が目下であろうと子供であろうと、対等の者として認め、褒める事が出来る人。

この人が「大人」じゃなくて、なんであろう。

 

 

私が中学生になる頃、「かねこみそ」は、突然私の前から姿を消した。

詳しい事情は大人になって知ったのだが、理由あって、町を出たのだ。

当時子供だった私は、最初怒り、泣いて、淋しがって、最後は諦めざるをえなかった。

そして私も、私以上に淋しがっているであろう母も、やがて花札をしなくなった。


私にはその頃不思議に思っている事があった。

母はどうして「かねこみそ」と親友だったのだろう。
母は明るくて人当たりも良いが、心の深い所ではなかなか人に気を許さない性格である。
それが、10歳以上も年の離れた個性的な若い友人に、あれほど心を開いていたのは何故なのか。
一度母に聞いてみようと思っていたら、逆に母に質問された。

「お前は誰にもなつかない子だったのに、どうしてかねこみそは大好きだったの?」

母と私の答えは、きっと同じなんだろう。

 

 

花札で私が好きだった役は、花見で一杯と月見で一杯。

花見で一杯月見で一杯

いつか「かねこみそ」にそう言ったら、こりゃー大酒飲みになるぞっとワハハと笑った。

「お前が大人になったら、花見と月見で一緒に酒飲もうなー。」

 

母からルールを教わり、「かねこみそ」から面白さを教わったゲーム。

 

美しい絵札を見ると、今でも、あの約束を思い出す。

 

(2010年:追記)

今年に入ってから、母に、かねこみそがもう数年も前に亡くなっていた事を知らされた。

母自身も、人づてに最近知ったらしい。

しかし、その亡くなった日に遡ると、その直前に、母は彼女に逢ったのだと云う。

突然町を出て以来、彼女は実に数十年ぶりに母の家を訪れ、二人でお酒を飲んで昔話をしたと云うのだ。

懐かしくて楽しい夜だから泊まって行けと母が薦めると、「長い間不義理をしてたし、他にも挨拶したい人がいるから」と帰っていった。

彼女はその言葉通り、昔の他の友人達に挨拶をした後夜行列車に乗って自宅に帰り、おそらく帰宅したその日の夜に亡くなったらしい。

特に重い病気だったという訳でもなく、勿論自ら命を絶った訳でもなく、静かに眠るように亡くなっているのを、発見されたという。
死因は今でもよく分からないとの事だ。

私はその話を聞いて深い悲しみと衝撃を感じながらも、「ああ、かねこみそらしいな」と思った。

 

さすがは私が「姉御」と慕った人、去り方が、なんとも粋じゃないか。

最後にちゃんと友達に挨拶をして、ひとり静かにいなくなるなんて。

結局私の前から二度も姿を消して、二度も私を泣かせて。

ひどいけど、やっぱりカッコイイから許してあげる。

 

あの約束は遂に守られなかったけど、

彼女の事を想い出して飲む酒は、一緒に飲んでいるような気持ちにさせる酒、かもしれない。

 

本日の一曲:「落陽」 吉田拓郎

 

 

 

2007年4月7日土曜日

合奏のススメ

 

私は、基本的に、ひとりで行動するのが好きである。

同時に、人と関わるのが好きな人間でもある。

この矛盾は、私のプレイするオンラインゲーム内でも発揮されている。

普段はソロで好きな所に行って好きな事をして、時々パーティに入れて貰ったり、人と喋ったりする。
オンラインである以上、例えソロ主体でも、どこかで人と関わる事になる。
それがオンラインゲームをやめられない理由でもあるし、時々やめたくなる理由でもあるのだ。

なんだか「オンラインゲーム」を他の言葉に置き換えてもよさそうで、自分でも苦笑いしてしまう。

 

基本は「孤独を愛する私」だが、強い敵を皆で力をあわせて倒すのが、実は一番好きだったりする。
リアルタイムの戦闘だと仲間で声を掛け合うのが大切だが、チャットだけではなかなか上手くいかない。
その難しい状況の中で、みんなの息がぴったり合って、ピンチを脱した時は本当に快感だ。

この快感、何かに似ているなと感じて、思い出した。

合奏、に似ているのだ。

 

高校の頃、私は他校の友人と「バンド」を組んでいた。
決して本格的なものではない子供のお遊びではあったが、それでも人と「合奏」する楽しさは、経験のある方ならお分かりだろう。
私はエレキギターを少しかじった程度だが、皆でガチャスカ演奏するのは本当に楽しかった。

しかし、バンド仲間が他校の生徒だった事もあって、自身の学校で私のバンド活動を知る友人は少なかった。
私の学校の友人が知るのは「アコースティック」の方。 ソロ活動のほうである。

 

音楽に関係ない部に所属していたのに、よく音楽関係の他の部にでしゃばっていた。
合唱部の伴奏に加わったり、部員でもないのに軽音部の部室をウロウロしてたり。

文化祭で中島みゆきの「わかれうた」を弾き語りして、全校生徒をドンビキさせたりもした。

それにしても、もうちょっとこう、高校生らしい爽やかな選曲ができなかったのか。
お祭りやお祝いの席において、決して選んではいけない曲だ。 

何故「わかれうた」でなければならなかったのだ、私。今となっては自分でも謎である。

 

 

そんなある日の事、休み時間にクラスメートが私の所にやってきた。相談があるという。

そのクラスメートのSさんは、普段本当に目立たない静かな人で、それまで個人的に話をした事はなかった。

私のほうは、少々変わっている事をのぞけば自分ではごく普通の高校生だと思っていたが、
当時でいう「ツッパリ系」の友人とよく遊んでいたせいか、なんとなーくそっちのグループだと思われていたようだ。
早い話が、真面目なクラスメートからは少し敬遠されていたように思う。

 

Sさんは、私にこう言った。 「ギター、教えてくれない?」

 

私は驚き、一瞬言葉を失った。 目が、真剣なのだ。

私の事をおそらく「恐いツッパリ」だと思っていたであろうSさん。

そんな私にその言葉を告げるのは、さぞ勇気がいったに違いない。声震えてたし。

しかしその声と表情で、彼女がどれだけ本気なのかもわかった。 モチロン私に断る理由などない。


そうして次の日から、教室の隅で、私と彼女の合奏が始まる事になった。

 

音楽室から借りてきた二本のアコースティックギターで、私たちは練習をした。

実のところ、私など人に教える腕前ではない。
コードとちょっとしたフレーズを知っているだけで、まぁ、あとはノリでなんとかしようという、なんちゃってギタリストなのだ。
元は中島みゆきさんの歌を自分で弾き語りしたいがために始めたギターであるから、弾くというより、歌うための道具だった。

しかし、私程度のレベルでいいなら、私の知っている事を全て教えてあげたいと強く思った。
特にお人よしでもない私にそう思わせたのは、彼女の人柄ゆえだろう。

 

基本的なコードをおぼえる所から始まって、ストローク、アルペジオ、スリーフィンガー…。
教える術を持たない私は、自分がおぼえてきた事をただ繰り返すだけだった。

最初の関門、「F」のバレーコード(一本の指で全弦を押さえる)で、やはり彼女も悩んだようだ。
あまり辛いなら省略コードを教えようと思っていたのだが、なんと彼女は「F」を知って四日目にして、音を出せるようになった。
どうやら、家で猛練習をしていたようである。指が真っ赤になっていた。

 

練習曲の数曲のフォークソングを彼女が弾けるようになった頃、私は彼女に質問した。

「一番弾きたい曲はなに?」

私にとっての中島みゆきのように、彼女にも、これが弾けるようになりたい!と思う曲があるはずだ。

最初に私の所にきた彼女の顔は「ただなんとなくギター弾きたい」という表情ではなかったから。

 

答える代わりに、彼女は鞄から一冊の楽譜集を出してきた。オフコース全曲集。

ああ、そうか。ずっと持ってきていたんだ。気がつかないなんて私も野暮だなー。

彼女はそのうちの一曲を、指差した。 愛を止めないで。 

 

オフコースの曲は、セブンスコードが多かったりして、これまでより少々難しいが、大丈夫。

「F」を四日でものにした努力家の彼女の事だ。セブンスコードもすぐ覚えるだろう。

 

 

数日後、放課後の教室で、私たちは「愛を止めないで」を合奏していた。

それまでの経緯をなんとなく見ていたクラスメートも、音楽室からギターを借りてきて、加わった。

愛をとめないで~ そこから逃げないで~♪

 の大合奏は、それはそれは楽しかった。

 

 

ソロプレイも楽しいが、たまには誰かと一緒にプレイするのも、いい。

 

ゲームも、音楽も、きっと、人生そのものも。

 

 

本日の一曲:「二つのギター」(ロシア民謡) Roby Lakatos


 

ゲームキャラのトルネコを悪役にしたような太ったおじさんだが、演奏ものすごく上手。
あのコロコロした指からどうしてあんな音が出るのかしら。

二つのギターは昔から大好きなロシア民謡。
これは純粋なギターバージョンではないけれど、彼の演奏したこの曲が一番好きです。

 

2007年3月26日月曜日

真夜中の電話

 

かつて、私の家の電話は、真夜中によく鳴る電話だった。

仕事の時間帯のせいもあって、私は随分昔から夜型の人間だ。
それを知る友人達も殆どひとり暮らしだった事もあり、私へ電話は夜中にかかってくるのが普通だった。

しかし、人のイメージというのは、本人が知らぬ間にもなんとなく伝わっていくものなのだろうか。
そのうち、友人というほど親密ではない知人からの電話も、夜にかかるようになった。

そうして、私の電話は、間違いとセールス電話を除き、ほとんど夜中にしか鳴らなくなった。

 

ある日、知人から電話があった。時計を見ると、深夜2時近く。

その知人は、友人の「姉」であり、顔見知りではあったが、あまり話はした事がない人だった。
夜中の電話どころか、直接電話がかかってくる事自体、それが初めてである。

深刻そうな、少し低い声。 何事だろう?友人に何かあったのか? 私は、緊張した。

 

知人「ごめんね、遅くに。あなたなら遅い時間がいいって、妹が言ってたの思い出して。」

私「あ、ええ、かまいませんよ、もちろん。遅くじゃないと、私いませんし…。」

知人「それでね、何と言うか、困ってしまって。あなたなら知ってるかもって思って。」

私「はい?あ、えーと。何を、でしょう?」

知人「どうしても、わからないの。ラーの鏡ってどこにあるの?

 

私は、派手にズッコケた。

ラーの鏡。それは、「人の真実の姿」を映し出すという鏡。

ドラゴンクエスト2で初めて登場し、以後、ドラクエシリーズ定番となったアイテム。
神秘的で大好きなアイテムだ。 ああ、すぐ思いつく自分が哀しい。

知人は、会社では役職に就き沢山の部下を従えるやり手だが、密かにゲームを趣味としている。
つまり彼女は、ドラクエ2をプレイしていて、どうしても先に進めなくなってしまった。
夜中にラーの鏡を探して一人さよまい、悩みに悩んだ末、私に電話をかけるに至った…と推察する。

私は、実はこういう人大好きである。 そして、気持ちもわかる。

当時は、インターネットがまだメジャーではなかった頃で、もちろん攻略サイトなど無かった。
私も、「MYST」という難解なアドベンチャーゲームをプレイした時、心底困ったおぼえがある。
ある謎につまり、三日頭をかきむしった。四日目に至って遂に泣く泣くギブアップした。
四日間、もうMYSTの事しか考えてなかったと思う。
あの時私に「ヒント」を教えてくれる人がいたら、タクシー飛ばして聞きに行ったかもしれぬ。

私はなんでだかまだ取ってあった昔の攻略メモを引っ張り出し、細かいヒントを教えてあげた。

ふふふ。答えをズバリ云うほど野暮ではない。
上に書いたMYSTの件も「でも答えは聞きたくないな」と思っていた私。
ゲーマーの心は繊細でワガママなのだ。


「ありがとう、ああ、これで見つけられる。やっと眠れるわ~。」

深夜のゲーマーも、百年に一度くらいは、役に立つことがあるのです。

 

 

そんな微笑ましい?話も含めて、真夜中の電話というのは、「迷子」の電話が多かった。

途方に暮れている時の話は、真昼間の喫茶店より、真夜中の電話のほうが、似合う。
というより、「真夜中」のほうにこそ、人を迷わせる何かがあるのかもしれない。
そんな逢魔が時にパッチリ起きている私は、友人達にとってローソンみたいなものだったのかな。

 

泣いている電話。淋しがっている電話。怖がっている電話。何かに怒っている電話。

もっと深刻な、せっぱつまった哀しい電話。

 

しかしそれらは、ドラクエの電話と違い、私が何一つヒントを教えてあげられない電話であった。

一緒に水の中に引きずりこまれるように、「逢魔が時」をやり過ごす時間。

はた迷惑で、もどかしくて、それでいてちょっと愛しい不思議な時間。

もしかして、迷子は、私のほうだったのかもしれない。

 

 

今はもう、私の電話が真夜中に鳴ることは、無くなった。

当時の友達は、結婚したり、故郷に帰ったりして、大方が疎遠になった。

私も、ひとり暮らしではなくなった。

 

私の携帯電話は、もう四年近く機種を変えていない。
壊れかけだが、たいして不便でもない。あまり使わないからだ。
自宅の電話も似たようなもので、解約しても差し支えないくらいだろう。

 

みんな、迷子じゃなくなったのかな。 ラーの鏡は、見つかったのかな。


鳴らない電話を見て、ホッとしたような、淋しいような。

今夜も私は、ふと、複雑な気持ちになるのだ。

 

 

本日の一曲:「テレフォン・ノイローゼ」 甲斐バンド


 

 

2007年3月20日火曜日

上級生


高校生の頃、私より一学年上の先輩に、Yさんという女性がいた。


私の通っていた高校は商業高校である。

私は「美術部」に在籍していたのだが、Yさんは、同じ部の上級生だった。


商業高校というのは、基本的に校則が厳しいのではないだろうか。
社会への即戦力を持った人間を育成する義務、もあるのだろう。
二十数年も昔の事だし、その上ウチは田舎だった。もう十年昔のイメージで丁度、かもしれない。


そういう場所は、当然、上下関係にも厳しい。
その頃の生徒たちは、神のように、それはそれは上級生をおそれていたものだった。


中でも、このY先輩は、こわかった。
よく怒られたからこわかったのではない。むしろ逆だ。

無口で、穏やかな表情を持ちながら、圧倒的な存在感のある人だった。
めったに発言しないが、ひとたび発言すれば、自然に皆が耳を傾ける。


名軍師。 他の先輩達が、密かにそう呼んでいるのを聞いた。

下級生ばかりでなく「同級生」からも、おそれられているとは。



私の中で、ただの怖れは「畏れ」に変わり、「尊敬」になり、やがて「崇拝」になった。

私は、Y先輩のしぐさを真似ては、はしゃいでいた。似てる、と言われるのは、至上の喜びだった。
つまり残念ながら私は、実に自分の歳に相応しい、ただの十七歳の高校生であったようだ。




二年生の頃、私は、自分の学校の規則の厳しさに、疑問を持ち始めていた。
私は、規律を軽んじるつもりは無い。
しかし、校則を守らせるために一部の教師が執る行動に、気味悪さを感じていた。


今になって思うのだが、規律を重んじる世界というのは、宗教の世界に似ている気がする。
規律の基本は素晴らしいものであっても、その世界の上に立つ人間がそれをどう「解釈」するか。
そして、下の者にどう伝えるのか。どう教えるのか。どう執行するのか。
「基本」は不変でも、「世界」は形を変えてゆくのだろう。「解釈」は主観的なものだから。



パーマをかけてはいけない。 髪の毛を肩より下に伸ばしてはいけない。

なぜいけないのかは、よく分からなかったが、それが規律ならばと、一応その通りにはしていた。


ある日、私の同級生が泣いていた。彼女は、俗に言う「天然パーマ」であった。
その髪が「天然のウェーブ」である証拠に、赤ん坊の頃の写真を持ってこいと言われたと。
髪のウェーブがはっきり分かる赤ちゃんの頃の写真など、無い。
しかし、それを持ってこられないなら、校則を破ったものとするんだそうな。




ある朝学校へ着くと、校門の前に「定規」を持った教師が立っていた。抜き打ち検査だ。
私の髪はショートカットだったが、襟足が少し長かった。

「おい、お前。」 教師は、私の腕を乱暴に摑み、私の髪を強くひっぱって定規を当てた。


はっきりと、悪意を感じた。 これは、教えではない。 これは「魔女狩り」じゃないか。


ならばこの男は「師」ではない。この男から教わる事など何も無い。


礼を持たぬ者に、礼を教えてもらおうとは思わない。




ある秋の日、生徒会主催の「校則に関するディスカッション」なるものが行われた。
各クラスから代表一名と一部の教師が、校則について意見を交換しあうのだ。

しかし私は期待していなかった。生徒会主催ではあっても、一方的な「お説教会」になる気がした。
文句があるなら言ってみろ、という空気の中、リスクを負ってまで本音の発言が出来るものだろうか。
たとえ一部の教師にでも「問題児」の印象は与えたくない。「リスク」は決して軽いものではない。
卒業後即就職する生徒は特に、しかもその就職先が狭い「地元」だったら、なおさらだ。



なぜか、私はクラス代表で出席するはめになった。

ただ、期待はしてないといっても、一縷の希望がないわけではない。
尊敬する教師も、この学校にはいたからだ。

しかし、出席した「一部の教師」を見て、暗澹たる気持ちになった。
あの定規男をはじめ、日頃から、心馴染めない顔が並んでいた。


一縷の希望が消えて、ふらふらと席に着いた瞬間、目に飛び込んできた人物に仰天した。

このディスカッションの「議長席」に座っていたのは、Yさんだったのだ。

生徒会長の男子生徒も、ちゃんと出席している。
にもかかわらず「軍師」の方が議長席という事は、もしかしてこの会を「発起」したのは。



厳粛な裁判長のように、一切の主観を口にしない議長のもと、淡々と会は進んだ。
しかし、いくら裁判長が公平であっても、生徒側からは、無難で短い小声の発言しかなかった。


私は、何も言わなかった。

二年生の私が三年生を差し置いて、ましてや、話し合いなどする気の無い相手に何を言えと?

お説教からしばしば愚痴にまで脱線する、定規男のワンマンショー、であった。



騒音しか聞こえなかった場がやっと静けさを取り戻すに及んで、議長が、静かに告げた。
「…もう意見も無いようですので、そろそろ会を終わりたいと思います。」

だが、言葉は続いた。 「最後に、一生徒としての私の個人的な質問をお許しください。」


「髪を伸ばしてはいけない。パーマをかけてはいけない。生徒手帳に書いてある校則の一例です。
でもどこをみても、なぜいけないのか書かれていないんです。考えてみても、わかりませんでした。
なぜ、いけないのですか? 幼稚な質問ですが、先生方、どうか私に教えてください。」


この話し合いで初めて聞いた、人の声。



定規男が言った。

「君はそんなにパーマをかけたいのかな。
確かに幼稚な質問だ。困らせたつもりだろうが、それは子供の屁理屈だ。」



私の頭の中で、音がした。私が座っていた椅子も、遠くでガタンと音を立てたような気がした。


「答えは私もわからなかった。でも、質問の意味は五才の子供でもわかる。なぜ?と聞いてるだけ。
質問が幼稚だなんてとんでもない。子供でもわかるちゃんとしたやさしい言葉を使ってるだけ。
あんたは子供だってわかる言葉さえ、理解できてない。
ちゃんとした言葉に対して子供だってそんな無礼な返事はしない。

あんたはアホウですか?


その後の事は、覚えていない。






気がついたら、話し合いは終わっていた。


我にかえった私は、たった今自分がしでかした事を考えた。 そして、涙が出た。
後で職員室に呼び出される事も、問題児の烙印を押される事も、怖くはなかった。
ただただ、Yさんに申し訳なかった。


私が、滅茶苦茶にしてしまった。

Yさんは、あの短気な暴言を、きっと軽蔑しただろう。
頭に血が上って教師をアホウ呼ばわり。しかも人の話に割り込んで。それまで何も言えなかった癖に。


Yさんは、苦労して話し合いの場を作り、辛抱強くあの男の話を聞き、礼を尽くして問いかけた。

私は、はじめから放棄した。憎んだ。耳を塞いだ。唾を吐いてきた相手に、唾を吐き返した。


Yさんなら平和にできたかもしれない世界で、私はただ、戦争を起こした。




目の前に、Yさんが立っていた。

私は凍りついたが、固まってる場合ではない。とにかく、謝るんだ。

口を開こうとする私の顔を覗き込み、Yさんが先に、口を開いた。


「あなた、言うわねえ。」

そうして、嬉しそうに微笑って、私の頭を、撫でた。





三月の卒業シーズンになると、私は美術室を思い出す。あの、油絵のオイルの匂い。

Yさん達三年生が卒業式を迎えた日も、私はひとり部室にいた。

もう二度と、逢う事はないかもしれない。だから最後に一言、挨拶をしたかった。


卒業式当日の三年生は忙しい。でも、Yさんはきっと、部室に来るような気がした。

なぜなら、私が卒業する時は、最後に「此処」へ来たいと思うから。



誰かが階段を昇ってくる足音がして、部室の扉が開いた。 Y先輩だ。
予感していた事なのに、やっぱり私は驚いた。


「先輩、ご卒業おめでとうございます。今まで、ご指導ありがとうございました。」

今まで大きいと思っていた先輩の背丈は、私より頭半分、小さかった。


「ありがとう。あなたも、元気でね。」

そう言って、差し出された手も、思いのほか、小さかった。



私が卒業する時は、最後は一人で、この部屋を出て行きたい。

ここまで予感が当たったのなら、この予感も、きっと当たっているんだろう。
その邪魔はしたくない。淋しいけれど、それも礼儀だ。 私は、部室を後にした。



振り向くと、先輩は、美術室の空気を胸いっぱいに吸うようにして、窓から空を見ていた。

その横顔が、私にとっての、Y先輩の最後の姿になっている。




私は、もう、四十歳を過ぎた。

しかし、記憶の中の、十八歳の少女は、

今でも、上級生、のままである。




本日の一曲:「卒業」 沢田聖子

 

2007年3月9日金曜日

正反対の女(後編)

(正反対の女・前編中編からの続き)


私がプレイしているゲーム信長の野望Onlineは、同サーバーに三人キャラを持てる。(注・2007年当時)

一人目のキャラの基本モデルはうちの猫、二人目のモデルは私のツレである。

どうせだから三人目も作ろうとして、少々困った。
次は私自身がモデル、というのが順当だとは思ったのだが、
自分のキャラを作るのは、なんというか抵抗があったのだ。

オフラインゲームならともかく、他人様の前で自分自身にそっくりなキャラを動かすのか…。
モジモジ人見知りしてしまって、パーティになんか入れないんじゃないか…。


悩んでいて、ふと、うってつけの人物を思い出した。

ミユキ(仮名)である。

戦うため、に創った、もうひとりの私。


おお、こりゃーおもしろいかも。華やかな女陰陽師なんかどうだろう。
陰と陽。正反対の象徴を印に持つ、術のエキスパート。
何か因縁めいていて、ピッタリではないか。


「作り慣れている女」だけに、キャラメイキングはスムーズに進んだ。

あとで思えばこれが、あの女を私生活に持ち込んだ、初めての経験であった。



この世界での陰陽師は、他のゲームでいうところの「魔法使い」にあたる職になる。
強力な術で攻撃するのが基本なので、アタッカーとしての能力は高い。
だが、体力(HP)も防御力も低い。 しかも術を発動するのに、無防備な詠唱時間を必要とする。
自分を守ってくれる人なしでは、殆ど何も出来ない。ソロ戦闘は苦手なのである。


私は、ミユキに似せようと、このキャラでは友人を作らない事にした。
そして、人の少ない、すなわちパーティの組みにくい過疎国からスタートさせた。
本来、ひとりでは戦えない魔法使いを、である。

苦労してレベルを上げなんとかやっていけるようになった頃、思いきって国を出奔させた。
帰る所の無い、浪人にしたのだ。
あっさり故郷を捨てる恩知らずな女。いかにもあの女らしいじゃないか。


ゲームの主人公の役を演じるRPG(ロールプレイングゲーム)で、
ゲームの主人公に、「私」の役を演じさせたのだ。

しかもその「私」は、別の場所で、私が演じていた役である。なんともタチの悪い冗談だ。


こうして、戦国の世をひとりさすらう、誰かさんソックリの、冷たい魔女は出来上がった。



指先から力が解放される 氷の波が地を這い 容赦の無いうねりとなって敵の身体を覆い尽くす


しかし、この氷の魔女と旅をするうち、いつしか私は夢中になっていた。

幾度もギリギリの死闘を切り抜けるこの魔女に、歓声をあげ、喝采していた。


と同時に、「モデルになった女」の事を、頻繁に思い出すハメになった。
仕事を離れたら、敢えて考えないようにしていた、あの大嫌いな女の事を。


それはそうだ。わざと似せたんだから。どんな女だったか、自分で掘り返したんだから。
タチの悪い冗談が、皮肉にも、初めて真剣にあの女と向き合うための「鏡」になっていた。


ゲームの中で美化されたキャラを見るうち、都合のいい混乱をしたのかもしれない。
ただでさえ、過去というのは記憶の中で、美しい姿に形を変えるものだし。



それでもふと、あの女は、とても、可哀相だったんじゃないかなと、思う時があった。


魑魅魍魎のはびこる「戦国」を、たった一人で歩いていった女。 自身にさえも愛されず、か。


笑ってしまう。 いつしか私は、「あの女」を、好きになってしまっていたのだ。




途端に、何故だろう。

私は、「あの女」の痛みを感じるようになった。ずっと昔の、無かったはずの痛みを。



無理矢理眠らせたものが、ただ目を覚ましただけかもしれない。


私の代わりに闘った、幻の剣。 私を守った、幻の楯。 私が創り上げた、幻の檻。


消えた檻の中から、眠っていた子供がごろんと転がり出ただけ。



1プラス1は、2、じゃなかった。 最初から一人しか、いやしなかった。

私が嫌いだったのは、「あの女」、なんかじゃない。




今私は、ホステスを引退している。 十五年の、長い長い「RPG」は、終わった。

だからもう、あの女が、鏡に映ることは無い。



でも、きっと、どこかにいるんだろう。
二人いた人間が一人減ったわけじゃなし。
嫌いな方も好きな方も、強い方も弱い方も、別々にいたわけじゃなし。



あの頃の事を思い出すと、少し胸が痛む。
この長い長い文章を書いている間も、ずっと疼いていた。


でもまあ、しかたない。今は、この痛みに付き合ってみるとしよう。



あの女は、間違いなく、「私自身」だった。 ただそれだけの事なんだから。




本日の一曲:「DIAMOND CAGE」 中島みゆき

  

2007年3月8日木曜日

正反対の女(中編)

(正反対の女・前編からの続き)



ミユキ(仮名)は、疲れていた。

昨夜ゼルダの伝説を朝までプレイしたせいだ。だいたいあのラスボスは、強すぎる。

それにしても、酔いが回る。

ミユキはボーイを呼んだ。 「ちょっと。お水頂戴。あと灰皿も。」
仕事の手を止められて、ボーイは露骨に迷惑そうな顔で、グラスと灰皿を置いた。

 

ミユキには、お店に友人がいない。 お店には、というより「彼女」には、一人も。

 

うはあ、冗談じゃないっつーの。

下手に仲良くなって、休みの日に遊ぼうとか言われたら大変だ。休日くらいラクな姿でいたいわよ。

それに、休日はソフトを買いに行きたいし。思う存分プレイできる日だしね。
新しいパソコンも買ったから、今度はPCゲームもいいわね。

 

同僚のホステスがチラッとミユキを一瞥して、無言で通り過ぎる。

長い間一緒に勤めているが、客の席以外で、殆ど話をした事はない。

友人を作らないよう努めなくとも、心配はいらない。決して友人など出来はしないだろう。

 

ミユキは、感じが悪いのだ。

温かみ、とでもいうのだろうか。そういうものが全く感じられない女であった。

客には饒舌だが、店の人間とはあまり話したがらない。小馬鹿にしている風情すらある。
そういう裏表のある所も、店の人間の不信をかっていた。

 

しかし世の中とは面白いもので、温かみのないこの女が、かえって一部の客にはウケた。

本人にも意外な事に、「商品価値」が生まれたのだ。

 

店の誰もが持て余す偏屈な客は、ミユキの上得意様だった。

変わり者は変わり者同士、というところか。

その爆弾処理班のような役割を好んで引き受けるような所にも、少々の価値はあった。

 

商品としての価値を最も優先する店のオーナーママだけは、この女を大切に扱った。
が、むしろこのママこそが、胸の内ではこの女を嫌悪しているNO.1であったかもしれない。

せっかく家に招んでやったのに。店で孤立しているこの女を可哀相に思って。

「仕事以外の私的なお付き合いは、今後一切ご遠慮します。」だとさ。

何を考えているかわからない可愛げのない女。部下に持つには、嫌なタイプだろう。

 

あーあ、馬鹿馬鹿しい。店の従業員と話すのが私の仕事じゃあるまいし。

エネルギー使うのよー? このキャラはさー。

客がいない場所でくらい、いいじゃないの黙ってたって。
なんでアンタ達にサービスしなきゃなんないんだか。

 

「いらっしゃいませ!」ボーイが叫んだ。

新しい客のようだ。さて、またがんばらなくては。

ミユキは、いらっしゃいませ!と呼応するように叫ぶと、煙草を消し、客を迎えに立ち上がった…。

  


 

 

…えーと。まあ。その。

 

こんな感じの女を創ってしまったわけである。

休憩中にゼルダの伝説の事を考えているあたり、少々完成度の低いロボットと言わざるをえない。
持続させるのに気力は必要だったから、バッテリー切れも早かった。


が、逆の人格の仮面を被るというヤケクソの思いつきは、私に「生きる術」を与えた。

 

仕事で何があろうと、何を思われようと、私生活で気に病む事は無くなった。

というより、「あの女」でいる時間は、何かを気に病んだおぼえがないのだ。

別の女であればこそ、十五年以上もの長い年月、続けられた仕事。

確かに、正反対であったからこそ、バランス取りは成功したのだ。

 

 

しかし…別の人格であったからこそ。

引き換えに少々の副作用が生じた。

 

主観的に、生理的に、感覚的に。 私は理屈ぬきに、この女が嫌いになっていったのだ。


「ミユキ」を漠然と嫌っていた店の人たち。 なーんかヤな女だな、こいつ。

 

なんの事はない、私自身も、店の人間と同じ感想を持つ側にまわってしまったのである。

 

 

(正反対の女・後編につづく)

 

 

本日の一曲:「黄色い犬」 中島みゆき

  

 

2007年3月7日水曜日

正反対の女(前編)


もう引退しているが、「職業は?」と聞かれれば、今でもこれしか思い浮かばない。


私は、ホステスだった。

少し経験がある、という話ではなく、十五年以上の長い年月、この仕事一本であった。
色んな店に勤めたが、基本のホームグラウンドは、大阪の大歓楽街・北新地である。

自分の仕事に決して誇りを持ってはいなかったが、別に恥じてもいなかった。
しかし、私は自分の職業を人に明かすのが、とても苦手であったのだ。


理由は二つある。

一つは、信じてもらえないからだ。

私は見た目が男っぽい。遠目からだとオニーサンにしか見えないだろう。
しかも、頭の中はゲームの事でいっぱい。
こちらのほうはオニーサンというより、小学生男子、といった雰囲気。


いつだったか風邪をひいて病院に行った時の事。
真昼間にもかかわらず、私が「今日は仕事を休めないので」とか言ったからか、
なんとなしに質問された。

医者「お仕事は何を?」 
私「えー…。お水…いえ、ホステスです。スイマセン、ハイ。
医者「は?」
私「ですから。えーと。お酒を提供する、というかですね。あ、酒屋さんじゃなくてですね。あはは。
一秒後、医者は私の予想通り、目を丸くしてお叫びになった。「あなたが!?」ほっといて下さい。


でもそのパターンは、まだいい。
私がホントに苦手なのは、「私を少し知っている友人」に、職業を明かす瞬間である。


私が自分の職業をカムアウトすると、たいてい「……。」という沈黙が流れる。

「ってちょっwこの人オトコみたいだしホストならわかるけどていうかこの人顔濃いけど気弱いし暗いし人見知りだしなんかオタクだしそんな仕事できるわけな(略)」
…みたいな事を考えているのかなあ。 と私は暗く妄想してしまう。

長い「……。」の間、子羊のように怯える私はストローでコーラを飲み干す。
ズズ~~~とマヌケな音が喫茶店内に響く。

「あ、そうなんだ。で、こないだの話だけどー」とか話題を変えられてしまうと
なんだかノックアウトなのである。



二つ目の理由はシンプルだ。

その女(仕事をしている時の自分)が、嫌いだったからである。


今考えると不思議な気がするが、私にも「会社員」をしていた時期があった。

好きで選んだ仕事だったが、なんだか思っていたのと違う。仕事をしているとつらい。
仕事をなんとかこなしても、会社で嫌な事があると家に帰っても引きずってしまう。

挙句、身体と心のバランスを崩し、2週間で10キロ体重が落ちた。
やむをえず、休養のため、会社は辞める事になった。
その後どうにか似たような仕事に就いたが、結局、長続きはしなかった。



私は面倒くさくなった。


いっそ、私のロボットが、私の代わりに働いてくれたらいいのに。



この発想自体は、多くの人が一度は考えた事のある、らちもない夢かもしれない。

だが私は、あろうことか、この発想を「現実」にやらかしてみようと考えた。

こういうあたりが、私が自身を「暗い」と評する所以である。




少しだけ違うものより、正反対のもののほうが、バランスは取れるものだ。



ならば、私自身とは正反対の、強いロボットが、いい。
強い者だけが生き残れる、そんな職場が、いい。


そう考えた私は、生きていくために、正反対の女を創り上げていった。



ウェットをドライに。感傷的な心を無感動に。淋しがりやな弱い羊を一人で生きていける狼に。
念入りにメイクする。華やかな衣装に着替える。光る装飾品を武器のようにちりばめる。
仕上げに、大音量で音楽を鳴らし、気合を入れる。


さあ、戦場へ。


そして、それはなかなかに、面白いゲームだった。


(正反対の女・中編につづく)     



本日の一曲:「狼になりたい」 中島みゆき

2007年2月12日月曜日

タイムアタックを考える


世のゲームの中には、タイムアタックというものがある。

ゲーム好きの方には説明は不要だろう。
特にアクションゲームやレースゲームに多いが
「規定時間内にそのステージをクリアする」とかいうアレである。

私はこれが結構好きなのだ。


好きな理由は色々ある。
この手のモードは本編後のお楽しみに用意されてる事が多く、よってたいてい難易度が高い。
しかし難しい分だけ、クリア出来た時の快感は大きい。
ステージクリアが最低条件な上に時間制限がつくので、洗練されたプレイを求められる。
というより時間内クリア出来るという事がすなわち、必然的に洗練された華麗なプレイだという事だ。
「私って天才じゃなかろうか」と勘違いさせてくれるあたりも好きである。

しかし私が一番好きなのは、
始めで手間取って「こりゃ今回はダメだなーでも練習になるしこの先もとりあえず進んでみよう」
とか思って続けていたらなんか制限時間に間に合って

「お!こりゃもしかしてなんとかなるかもしれませんよ先生!」
 というどんでん返しの瞬間なのである。長い瞬間です。しかもまったく洗練されてない。


タイムアタックにはコツがある。

と書くとなんだか偉そうだが、私なりの心構えというのがあるのだ。
まず大雑把に頭の中で全体図を思い描く。
そして自分の進むルートや方法をある程度イメージしておく。
上記の準備は基本的に必須なのだが、でも完璧すぎてはいけない。

そしてここからがポイントなのだ。

途中で失敗しても立ち止まらない。タイムロスしてもすぐ終了やリトライボタンを押さない。

「気にせず最後まで続ける」のである。


えー、突然余談です。

今思えば、なんでそんな事でアンタと、笑ってしまうのであるが、
私は18歳の頃、ある事で絶望し、思い詰めていた。

自分の人生にどうしても欲しいものが、これだけは諦められないものが、
永遠に手に入れられないだろうと「予測」したからである。



えっと何だっけ。…話を戻そう。
さっき完璧すぎてはいけないと書いたのは
あまり完璧すぎるルートにこだわっていると
ミスした時自分がフリーズしてしまうからである。なんつっても心弱いのである。

第一クリア云々より、ゲームが楽しく感じられない。
実際タイムアタックをどうにもクリア出来ない時というのは、
ミスを気にするあまり次も凡ミス、ムカッ…すぐ終了&リトライ、
その繰り返しでもうイヤーン…のパターンであった。

そして面白い事に、クリア出来た時の多くは私の場合、上に書いたように
「こりゃ今回はダメだなーでも練習になるしこの先もとりあえず進んでみよう」のパターンが大半なのだ。

たとえクリアはダメでも、惜しいタイムで俄然やる気が出たり。
ひょっこり、もっといいルートを発見したり。
なにより文字通り後半エリアの気楽な練習になるので、
次はあっさりクリア出来る事も多い。


用意された規定のタイムをクリアしたら、その後は「過去の自分」が待っている。
次こそは、完璧を求められる世界。
しかし、気にする事は無い。やり方は何も変わらない。
さっきクリアしたのは「自分」であるから。

追いつけばいいのである。追い越せばいいのである。



ところで。
18歳の頃欲しかったものを、気がつけば私は持っていた。

その頃想像していたものとは少し違うけど、なんでだか今持っているのだ。



あの時続けて良かったなあ。終了ボタンを押さなくて良かった。


バナナの皮ですべろうと、上からタライが落ちてこようと。

おけおけ、どんまい、気にすんな~♪

さ、今日も行けるとこまで行ってみっか。



本日の一曲:「IT'S ALL RIGHT」 佐野元春

  

2007年2月10日土曜日

ゲーマー誕生


私とゲームの出会いは古い。トシもトシなのでホントに古い。

世にインベーダーゲームが流行った頃、小学生だったか中学生だったか。
私はちょっぴり不良だったので、喫茶店で友達と遊んだ記憶がある。
少し大きな不良になったら、ゲーセンにもたまに行くようになった。

ハタチになって恋人が出来て、その人が一緒に遊ぼうとファミコンを買ってきた。
よく一緒に遊んだが、その人と別れた時、ファミコンともお別れになった。
というよりあのファミコンがその時どうなったのか、正直覚えていないのだ。

確かにゲームとの出会いは古いのだが、
現在のように毎晩コントローラーを持つようになったのは…。
こんなに救いようの無いゲーマーになったのは…。

あれは22歳のあの時だろうなあ、やっぱり。

 

あの頃の私は恋人と別れて、少しまいっていた。
ご飯も食べられるし、痛いところもないし、どうということは無いのだが、何か調子が変なのである。
歯を磨こうと思っているのに、なぜか洗面所に行けない。
普通に暮らしてはいるのだが、時々あたりまえの行動が出来なくなる。
洗濯物を取り込もうとして取り込めなくて三日干しっぱなしだった事もあった。

夜も全然眠れなくなって、こりゃイカンと気分転換に引越しをする事にした。
何を思ったか、とある雪深い田舎町に、アパートを借りたのである。
こういう状況で寒い町を選ぶあたりが、私は演歌チックである。津軽海峡冬景色チックである。

 

私は小さな割烹料亭をアルバイト先に決めた。
時給も安かったし、仕事内容もきつかったが、かまわなかった。
寒い町で、修行僧のような生活がしたかったのだ。

まず店の掃除をして、米を研ぎ芋の皮をむき仕込みをする。
店が開いたら、接客に洗い物に、息つく間もない。
店がハネたら、片付けをし暖簾をおろし、シンとした雪の夜道を一人帰っていく。

実際、修行僧のような生活であった。

 

しかし、調子が変なのは直らなかった。
仕事をしている時はいいが、アパートに帰ると何も出来なくなる。
私のその頃の唯一の楽しみはギターを弾いて歌う事だったが、
真夜中に帰ってきて、壁の薄いアパートでまさかギターをかき鳴らすわけにもいくまい。

給料が安いとはいえ働いているだけの生活なので、お金は貯まった。
しかし、お金が貯まっても、欲しいものが無かった。
給料を貰って、ギターをもう一本買って、生活費を取り分けたら、途方に暮れた。

二人でいる頃は、あんなに欲しいものがあったのに。

 

私はある休みの日、近所のおもちゃ屋さんに行き、ファミコン本体とソフトを二本買ってきた。

欲しかったわけではない。何故なのか今でもわからない。

 

ソフトの一本は、今でいう推理アドベンチャーゲームだ。タイトルが推理小説みたいだった。
私は推理小説が好きなので、まずこれをプレイしてみた。

……うーむ……?面白くない。わけがわからない。
推理物なのに、なぜ敵にやられてゲームオーバーになるのだ?

 

落胆しつつ、もう一本のソフトを手にした。
男の子が何かと戦っている絵のパッケージだ。
絶賛発売中!とお店にあったので、ついでに買ったほう。

ソフトを差してスイッチを入れる。

まず名前を聞かれて少し驚いた。
今でこそ当たり前の手順だが、その頃はごく単純なゲームしか知らなかった。初めての経験だ。
ドキドキしながら自分の名を入力した。

 

パッケージの絵をよく見ると、男の子が戦っているのは竜のようだ。

その上には、「ドラゴンクエスト」と書かれていた。

 

次の日から私は、スイスイ歯を磨けるようになった。洗濯物も取り込めるようになった。
早く洗濯物を取り込まなくっちゃ、ドラゴンクエストが出来ないではないか。
今日は新しいダンジョンにいくぞっ。武器も買うぞっ。面白くて面白くて仕方なかった。

ドラゴンクエストは結局3回クリアした。
4回目をプレイしようとして、この世には他のゲームもある事を思い出し、町に買いにいった。

そうしてアパートには、ゲームソフトが増えていった。
最初の推理小説もどきゲームのような思いをすることもあったしその逆もあったが、
なんにしても、段々と給料日と休みの日が楽しみになっていった。

 

当時私は、調子が悪いと思うだけでそれほど深刻な実感はなかったのだ。
しかし今思えばあれは、随分とマズい状況ではなかったか。

だから、あの時の幸運には本当に感謝している。してはいるのだが…うーん。

現在の私のゲームへのハマりっぷりを省みると、しみじみと思う。

あの時出会ったソフトが稀代の名作「ドラゴンクエスト」だったのは、ホントに良かった事なのかしら?

 

そんなわけで、私は救いようの無いノンストップゲーマーになり、現在に至っている。

物欲は尽きることなく、今日も欲しいものがいっぱいだ。ちなみに貯金はアリマセン。

 

 

本日の一曲:「氷の世界」井上陽水