2007年3月20日火曜日

上級生


高校生の頃、私より一学年上の先輩に、Yさんという女性がいた。


私の通っていた高校は商業高校である。

私は「美術部」に在籍していたのだが、Yさんは、同じ部の上級生だった。


商業高校というのは、基本的に校則が厳しいのではないだろうか。
社会への即戦力を持った人間を育成する義務、もあるのだろう。
二十数年も昔の事だし、その上ウチは田舎だった。もう十年昔のイメージで丁度、かもしれない。


そういう場所は、当然、上下関係にも厳しい。
その頃の生徒たちは、神のように、それはそれは上級生をおそれていたものだった。


中でも、このY先輩は、こわかった。
よく怒られたからこわかったのではない。むしろ逆だ。

無口で、穏やかな表情を持ちながら、圧倒的な存在感のある人だった。
めったに発言しないが、ひとたび発言すれば、自然に皆が耳を傾ける。


名軍師。 他の先輩達が、密かにそう呼んでいるのを聞いた。

下級生ばかりでなく「同級生」からも、おそれられているとは。



私の中で、ただの怖れは「畏れ」に変わり、「尊敬」になり、やがて「崇拝」になった。

私は、Y先輩のしぐさを真似ては、はしゃいでいた。似てる、と言われるのは、至上の喜びだった。
つまり残念ながら私は、実に自分の歳に相応しい、ただの十七歳の高校生であったようだ。




二年生の頃、私は、自分の学校の規則の厳しさに、疑問を持ち始めていた。
私は、規律を軽んじるつもりは無い。
しかし、校則を守らせるために一部の教師が執る行動に、気味悪さを感じていた。


今になって思うのだが、規律を重んじる世界というのは、宗教の世界に似ている気がする。
規律の基本は素晴らしいものであっても、その世界の上に立つ人間がそれをどう「解釈」するか。
そして、下の者にどう伝えるのか。どう教えるのか。どう執行するのか。
「基本」は不変でも、「世界」は形を変えてゆくのだろう。「解釈」は主観的なものだから。



パーマをかけてはいけない。 髪の毛を肩より下に伸ばしてはいけない。

なぜいけないのかは、よく分からなかったが、それが規律ならばと、一応その通りにはしていた。


ある日、私の同級生が泣いていた。彼女は、俗に言う「天然パーマ」であった。
その髪が「天然のウェーブ」である証拠に、赤ん坊の頃の写真を持ってこいと言われたと。
髪のウェーブがはっきり分かる赤ちゃんの頃の写真など、無い。
しかし、それを持ってこられないなら、校則を破ったものとするんだそうな。




ある朝学校へ着くと、校門の前に「定規」を持った教師が立っていた。抜き打ち検査だ。
私の髪はショートカットだったが、襟足が少し長かった。

「おい、お前。」 教師は、私の腕を乱暴に摑み、私の髪を強くひっぱって定規を当てた。


はっきりと、悪意を感じた。 これは、教えではない。 これは「魔女狩り」じゃないか。


ならばこの男は「師」ではない。この男から教わる事など何も無い。


礼を持たぬ者に、礼を教えてもらおうとは思わない。




ある秋の日、生徒会主催の「校則に関するディスカッション」なるものが行われた。
各クラスから代表一名と一部の教師が、校則について意見を交換しあうのだ。

しかし私は期待していなかった。生徒会主催ではあっても、一方的な「お説教会」になる気がした。
文句があるなら言ってみろ、という空気の中、リスクを負ってまで本音の発言が出来るものだろうか。
たとえ一部の教師にでも「問題児」の印象は与えたくない。「リスク」は決して軽いものではない。
卒業後即就職する生徒は特に、しかもその就職先が狭い「地元」だったら、なおさらだ。



なぜか、私はクラス代表で出席するはめになった。

ただ、期待はしてないといっても、一縷の希望がないわけではない。
尊敬する教師も、この学校にはいたからだ。

しかし、出席した「一部の教師」を見て、暗澹たる気持ちになった。
あの定規男をはじめ、日頃から、心馴染めない顔が並んでいた。


一縷の希望が消えて、ふらふらと席に着いた瞬間、目に飛び込んできた人物に仰天した。

このディスカッションの「議長席」に座っていたのは、Yさんだったのだ。

生徒会長の男子生徒も、ちゃんと出席している。
にもかかわらず「軍師」の方が議長席という事は、もしかしてこの会を「発起」したのは。



厳粛な裁判長のように、一切の主観を口にしない議長のもと、淡々と会は進んだ。
しかし、いくら裁判長が公平であっても、生徒側からは、無難で短い小声の発言しかなかった。


私は、何も言わなかった。

二年生の私が三年生を差し置いて、ましてや、話し合いなどする気の無い相手に何を言えと?

お説教からしばしば愚痴にまで脱線する、定規男のワンマンショー、であった。



騒音しか聞こえなかった場がやっと静けさを取り戻すに及んで、議長が、静かに告げた。
「…もう意見も無いようですので、そろそろ会を終わりたいと思います。」

だが、言葉は続いた。 「最後に、一生徒としての私の個人的な質問をお許しください。」


「髪を伸ばしてはいけない。パーマをかけてはいけない。生徒手帳に書いてある校則の一例です。
でもどこをみても、なぜいけないのか書かれていないんです。考えてみても、わかりませんでした。
なぜ、いけないのですか? 幼稚な質問ですが、先生方、どうか私に教えてください。」


この話し合いで初めて聞いた、人の声。



定規男が言った。

「君はそんなにパーマをかけたいのかな。
確かに幼稚な質問だ。困らせたつもりだろうが、それは子供の屁理屈だ。」



私の頭の中で、音がした。私が座っていた椅子も、遠くでガタンと音を立てたような気がした。


「答えは私もわからなかった。でも、質問の意味は五才の子供でもわかる。なぜ?と聞いてるだけ。
質問が幼稚だなんてとんでもない。子供でもわかるちゃんとしたやさしい言葉を使ってるだけ。
あんたは子供だってわかる言葉さえ、理解できてない。
ちゃんとした言葉に対して子供だってそんな無礼な返事はしない。

あんたはアホウですか?


その後の事は、覚えていない。






気がついたら、話し合いは終わっていた。


我にかえった私は、たった今自分がしでかした事を考えた。 そして、涙が出た。
後で職員室に呼び出される事も、問題児の烙印を押される事も、怖くはなかった。
ただただ、Yさんに申し訳なかった。


私が、滅茶苦茶にしてしまった。

Yさんは、あの短気な暴言を、きっと軽蔑しただろう。
頭に血が上って教師をアホウ呼ばわり。しかも人の話に割り込んで。それまで何も言えなかった癖に。


Yさんは、苦労して話し合いの場を作り、辛抱強くあの男の話を聞き、礼を尽くして問いかけた。

私は、はじめから放棄した。憎んだ。耳を塞いだ。唾を吐いてきた相手に、唾を吐き返した。


Yさんなら平和にできたかもしれない世界で、私はただ、戦争を起こした。




目の前に、Yさんが立っていた。

私は凍りついたが、固まってる場合ではない。とにかく、謝るんだ。

口を開こうとする私の顔を覗き込み、Yさんが先に、口を開いた。


「あなた、言うわねえ。」

そうして、嬉しそうに微笑って、私の頭を、撫でた。





三月の卒業シーズンになると、私は美術室を思い出す。あの、油絵のオイルの匂い。

Yさん達三年生が卒業式を迎えた日も、私はひとり部室にいた。

もう二度と、逢う事はないかもしれない。だから最後に一言、挨拶をしたかった。


卒業式当日の三年生は忙しい。でも、Yさんはきっと、部室に来るような気がした。

なぜなら、私が卒業する時は、最後に「此処」へ来たいと思うから。



誰かが階段を昇ってくる足音がして、部室の扉が開いた。 Y先輩だ。
予感していた事なのに、やっぱり私は驚いた。


「先輩、ご卒業おめでとうございます。今まで、ご指導ありがとうございました。」

今まで大きいと思っていた先輩の背丈は、私より頭半分、小さかった。


「ありがとう。あなたも、元気でね。」

そう言って、差し出された手も、思いのほか、小さかった。



私が卒業する時は、最後は一人で、この部屋を出て行きたい。

ここまで予感が当たったのなら、この予感も、きっと当たっているんだろう。
その邪魔はしたくない。淋しいけれど、それも礼儀だ。 私は、部室を後にした。



振り向くと、先輩は、美術室の空気を胸いっぱいに吸うようにして、窓から空を見ていた。

その横顔が、私にとっての、Y先輩の最後の姿になっている。




私は、もう、四十歳を過ぎた。

しかし、記憶の中の、十八歳の少女は、

今でも、上級生、のままである。




本日の一曲:「卒業」 沢田聖子

 

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