2007年4月30日月曜日

花見で一杯、月見で一杯

 

数年前実家に帰った時、家のタンスから古い「花札」が出てきた。

もうボロボロに擦り切れて絵柄も色あせていたが、私は懐かしさで胸が詰まった。

 

私が生まれて初めて夢中になったゲームは、花札である。

懐かしさのあまり、ケースを眺めていて、今度は笑ってしまった。
「大統領」という名称のその花札のケースには、「任天堂」と書いてあったからだ。
そう、あの任天堂製、だったのである。
任天堂が「花札を作る会社から始まった」のは知っていたが、自分が持っていた花札もそうであったとは思い至らなかった。

任天堂のゲームというと「子供っぽい」と敬遠する大人のゲーマーも多いが、私は逆だと思っている。
「大人も子供も楽しめる」のであって、こういうゲームは「本物の大人」でないと作れない。
他のジャンルでもそうだが、大人が大人の狭い視点だけで「子供用」の物を作ると、実は子供は見向きもしない。
大人が面白いと思わなければ、子供も決して面白いとは思わないものだ。

マリオやポケモンやピクミンやゼルダを遊んだ人は、お分かりかもしれない。
ゲームの面白さはもちろん、大人がクスっと笑う粋なセンスが散りばめられている。
あのゲームを作った人は、実はすっごい大人なんじゃないかと思った。

花札のケースを眺めながらそんな事を考えていて、同時に、ある人物の事を想った。

当時私の心を摑んで離さなかった、ひとりの大人の事を、である。

 

私が花札のルールを知ったのは、小学三年生の頃と記憶している。教えたのは、なんと母親。
暇な時遊ぶ相手が欲しいから、という、親としては如何なものかと思う理由であった。

花札は、一月から十二月の季節の花が各四枚、花鳥風月をとり入れた美しい絵札を使った遊びである。

「こいこい」「はちはち」「花合わせ」など色々な遊び方があるが「役を作る」という行為は共通していると思う。この「役」もまた、情緒があって、美しい。
二人で遊べるものもあるし、三人以上で遊べるものもある。

母と二人だけで遊ぶのも飽きてきた頃、母の親しい友人が面子に加わる事が多くなっていった。
そして私自身が、この母の親友がいないとつまらないとまで思うようになっていった。

 

この母の親友「金子さん」は、その名前から「かねこみそ」と呼ばれていた。

私は人見知りの激しい子供だったので、ずっと年上の人をニックネームで呼びすてなんて考えられなかったし、今でも出来ない性格だ。
しかし「かねこみそ」だけは別だった。今考えると、私の性格からして奇跡的な事である。

この人は当時30歳そこそこの若い女性、今でいう「ちょいワル」な人で、性格は個性的&ハード。
ちょっと不良がかったお兄さんを「兄貴」のように慕うというのは、少年にはよくあると思うが、少女にもある心理なのだろうか。
私はこのハチャメチャに個性的でハードな性格の女性を姉御のように慕い、いつしか金魚のフンのようについてまわるようになった。

「かねこみそ」は、母や親戚以外で私の名前を呼び捨てにする唯一の「大人」であり、
私が初めて心底なついた唯一の「他人」でもあった。

 

彼女は、私を子供扱いしなかった。

彼女と遊ぶ花札は、同年代の友人と遊ぶトランプとは違い、スリルと興奮があった。

あれはもはや「博打」に近いものではなかっただろうか。実際に色んなものを賭けていたし。
負けたら使い走りをさせられる、というような可愛いものではあったが、そこはハードな性格の彼女の事だ。
容赦なくホントに一日こき使われるハメになるので、おめおめ負けたくはない。私はいつも真剣だった。

 

彼女は負けると私に潔く与え、勝つと私から容赦なく奪った。

 

彼女は私を子供扱いせず対等に付き合ってくれたが、彼女自身は決して「子供」ではなかったように思う。

彼女は私に負けると本気で悔しがり、そのあと同じように本気で私を褒めてくれた。

「うーん、おまえは強いなあ。本当に賢いなあ。」

私にとって、勝った時の一番のご褒美は、この言葉だったのかも知れない。

40歳を過ぎた今になって思い返したら、人生で私を最も褒めてくれた人は、彼女であった。

相手が目下であろうと子供であろうと、対等の者として認め、褒める事が出来る人。

この人が「大人」じゃなくて、なんであろう。

 

 

私が中学生になる頃、「かねこみそ」は、突然私の前から姿を消した。

詳しい事情は大人になって知ったのだが、理由あって、町を出たのだ。

当時子供だった私は、最初怒り、泣いて、淋しがって、最後は諦めざるをえなかった。

そして私も、私以上に淋しがっているであろう母も、やがて花札をしなくなった。


私にはその頃不思議に思っている事があった。

母はどうして「かねこみそ」と親友だったのだろう。
母は明るくて人当たりも良いが、心の深い所ではなかなか人に気を許さない性格である。
それが、10歳以上も年の離れた個性的な若い友人に、あれほど心を開いていたのは何故なのか。
一度母に聞いてみようと思っていたら、逆に母に質問された。

「お前は誰にもなつかない子だったのに、どうしてかねこみそは大好きだったの?」

母と私の答えは、きっと同じなんだろう。

 

 

花札で私が好きだった役は、花見で一杯と月見で一杯。

花見で一杯月見で一杯

いつか「かねこみそ」にそう言ったら、こりゃー大酒飲みになるぞっとワハハと笑った。

「お前が大人になったら、花見と月見で一緒に酒飲もうなー。」

 

母からルールを教わり、「かねこみそ」から面白さを教わったゲーム。

 

美しい絵札を見ると、今でも、あの約束を思い出す。

 

(2010年:追記)

今年に入ってから、母に、かねこみそがもう数年も前に亡くなっていた事を知らされた。

母自身も、人づてに最近知ったらしい。

しかし、その亡くなった日に遡ると、その直前に、母は彼女に逢ったのだと云う。

突然町を出て以来、彼女は実に数十年ぶりに母の家を訪れ、二人でお酒を飲んで昔話をしたと云うのだ。

懐かしくて楽しい夜だから泊まって行けと母が薦めると、「長い間不義理をしてたし、他にも挨拶したい人がいるから」と帰っていった。

彼女はその言葉通り、昔の他の友人達に挨拶をした後夜行列車に乗って自宅に帰り、おそらく帰宅したその日の夜に亡くなったらしい。

特に重い病気だったという訳でもなく、勿論自ら命を絶った訳でもなく、静かに眠るように亡くなっているのを、発見されたという。
死因は今でもよく分からないとの事だ。

私はその話を聞いて深い悲しみと衝撃を感じながらも、「ああ、かねこみそらしいな」と思った。

 

さすがは私が「姉御」と慕った人、去り方が、なんとも粋じゃないか。

最後にちゃんと友達に挨拶をして、ひとり静かにいなくなるなんて。

結局私の前から二度も姿を消して、二度も私を泣かせて。

ひどいけど、やっぱりカッコイイから許してあげる。

 

あの約束は遂に守られなかったけど、

彼女の事を想い出して飲む酒は、一緒に飲んでいるような気持ちにさせる酒、かもしれない。

 

本日の一曲:「落陽」 吉田拓郎

 

 

 

2007年4月7日土曜日

合奏のススメ

 

私は、基本的に、ひとりで行動するのが好きである。

同時に、人と関わるのが好きな人間でもある。

この矛盾は、私のプレイするオンラインゲーム内でも発揮されている。

普段はソロで好きな所に行って好きな事をして、時々パーティに入れて貰ったり、人と喋ったりする。
オンラインである以上、例えソロ主体でも、どこかで人と関わる事になる。
それがオンラインゲームをやめられない理由でもあるし、時々やめたくなる理由でもあるのだ。

なんだか「オンラインゲーム」を他の言葉に置き換えてもよさそうで、自分でも苦笑いしてしまう。

 

基本は「孤独を愛する私」だが、強い敵を皆で力をあわせて倒すのが、実は一番好きだったりする。
リアルタイムの戦闘だと仲間で声を掛け合うのが大切だが、チャットだけではなかなか上手くいかない。
その難しい状況の中で、みんなの息がぴったり合って、ピンチを脱した時は本当に快感だ。

この快感、何かに似ているなと感じて、思い出した。

合奏、に似ているのだ。

 

高校の頃、私は他校の友人と「バンド」を組んでいた。
決して本格的なものではない子供のお遊びではあったが、それでも人と「合奏」する楽しさは、経験のある方ならお分かりだろう。
私はエレキギターを少しかじった程度だが、皆でガチャスカ演奏するのは本当に楽しかった。

しかし、バンド仲間が他校の生徒だった事もあって、自身の学校で私のバンド活動を知る友人は少なかった。
私の学校の友人が知るのは「アコースティック」の方。 ソロ活動のほうである。

 

音楽に関係ない部に所属していたのに、よく音楽関係の他の部にでしゃばっていた。
合唱部の伴奏に加わったり、部員でもないのに軽音部の部室をウロウロしてたり。

文化祭で中島みゆきの「わかれうた」を弾き語りして、全校生徒をドンビキさせたりもした。

それにしても、もうちょっとこう、高校生らしい爽やかな選曲ができなかったのか。
お祭りやお祝いの席において、決して選んではいけない曲だ。 

何故「わかれうた」でなければならなかったのだ、私。今となっては自分でも謎である。

 

 

そんなある日の事、休み時間にクラスメートが私の所にやってきた。相談があるという。

そのクラスメートのSさんは、普段本当に目立たない静かな人で、それまで個人的に話をした事はなかった。

私のほうは、少々変わっている事をのぞけば自分ではごく普通の高校生だと思っていたが、
当時でいう「ツッパリ系」の友人とよく遊んでいたせいか、なんとなーくそっちのグループだと思われていたようだ。
早い話が、真面目なクラスメートからは少し敬遠されていたように思う。

 

Sさんは、私にこう言った。 「ギター、教えてくれない?」

 

私は驚き、一瞬言葉を失った。 目が、真剣なのだ。

私の事をおそらく「恐いツッパリ」だと思っていたであろうSさん。

そんな私にその言葉を告げるのは、さぞ勇気がいったに違いない。声震えてたし。

しかしその声と表情で、彼女がどれだけ本気なのかもわかった。 モチロン私に断る理由などない。


そうして次の日から、教室の隅で、私と彼女の合奏が始まる事になった。

 

音楽室から借りてきた二本のアコースティックギターで、私たちは練習をした。

実のところ、私など人に教える腕前ではない。
コードとちょっとしたフレーズを知っているだけで、まぁ、あとはノリでなんとかしようという、なんちゃってギタリストなのだ。
元は中島みゆきさんの歌を自分で弾き語りしたいがために始めたギターであるから、弾くというより、歌うための道具だった。

しかし、私程度のレベルでいいなら、私の知っている事を全て教えてあげたいと強く思った。
特にお人よしでもない私にそう思わせたのは、彼女の人柄ゆえだろう。

 

基本的なコードをおぼえる所から始まって、ストローク、アルペジオ、スリーフィンガー…。
教える術を持たない私は、自分がおぼえてきた事をただ繰り返すだけだった。

最初の関門、「F」のバレーコード(一本の指で全弦を押さえる)で、やはり彼女も悩んだようだ。
あまり辛いなら省略コードを教えようと思っていたのだが、なんと彼女は「F」を知って四日目にして、音を出せるようになった。
どうやら、家で猛練習をしていたようである。指が真っ赤になっていた。

 

練習曲の数曲のフォークソングを彼女が弾けるようになった頃、私は彼女に質問した。

「一番弾きたい曲はなに?」

私にとっての中島みゆきのように、彼女にも、これが弾けるようになりたい!と思う曲があるはずだ。

最初に私の所にきた彼女の顔は「ただなんとなくギター弾きたい」という表情ではなかったから。

 

答える代わりに、彼女は鞄から一冊の楽譜集を出してきた。オフコース全曲集。

ああ、そうか。ずっと持ってきていたんだ。気がつかないなんて私も野暮だなー。

彼女はそのうちの一曲を、指差した。 愛を止めないで。 

 

オフコースの曲は、セブンスコードが多かったりして、これまでより少々難しいが、大丈夫。

「F」を四日でものにした努力家の彼女の事だ。セブンスコードもすぐ覚えるだろう。

 

 

数日後、放課後の教室で、私たちは「愛を止めないで」を合奏していた。

それまでの経緯をなんとなく見ていたクラスメートも、音楽室からギターを借りてきて、加わった。

愛をとめないで~ そこから逃げないで~♪

 の大合奏は、それはそれは楽しかった。

 

 

ソロプレイも楽しいが、たまには誰かと一緒にプレイするのも、いい。

 

ゲームも、音楽も、きっと、人生そのものも。

 

 

本日の一曲:「二つのギター」(ロシア民謡) Roby Lakatos


 

ゲームキャラのトルネコを悪役にしたような太ったおじさんだが、演奏ものすごく上手。
あのコロコロした指からどうしてあんな音が出るのかしら。

二つのギターは昔から大好きなロシア民謡。
これは純粋なギターバージョンではないけれど、彼の演奏したこの曲が一番好きです。