2007年9月19日水曜日

果てしなき闘い

はじめに: 前々回前回と登場した愛すべき家族達、そして自身に芽生えた愛するという意志。
その姿も真実ではあるが、今勇気を持ってもう一つの現実を書く事で、この「愛の三部作」をシメたいと思う…。)

 

私の生まれた町の方言に「びったもん」というのがある。

その響きから察しがつくかもしれないが、決して決して誉め言葉ではない。

キタナイ、だらしない、怠け者、等々…。

つまり「びったもん!」と言われる事は、「あなたはバッチイひとです」と宣告されるに等しい。

 

さて…私はかつて、この、世にも哀しい名称で呼ばれていたという暗い過去を持つ。

理由のほうは明快である。 私は掃除が嫌いだったのだ。

 

難儀な事に、私の母は大の綺麗好き、であった。

私が半端じゃなく散らかった自室で漫画「つる姫じゃ~!」を読んでいると、ドスドスと音が聞こえてくる。
勇者の聖なる剣(←掃除機)を手に、「悪魔怪獣ビッタモン」を成敗にやってくる正義の足音である。

私は慌てて「大事なモノ、しかし母にとってはゴミ」というアイテムの数々を必死でかき集める。
しかし、勇者の攻撃は素早くかつ容赦なく、私に襲いかかるのだ。もはや勘弁ならぬ!と言うように。

そうして、エクスカリバーの聖なる光(←掃除機)は、私の部屋をピカピカにしてゆく。
フィンガー5のレコードや、「明星」の付録ビューティペアのポスターを、「つる姫じゃ~!」共々ひとまとめになぎ倒しながら…。

 

ひとり暮らしを始めて最初に思ったのは、「やれやれ、これで静かになる」という事であった。

しかし、闘いは終わらなかった。

 

ひとりになって、一週間も経った頃であろうか。

ふと部屋の隅をみると、こんもり埃がたまっている。「埃って、こんなに早く溜まるものだったっけ?」
疑問と同時に、イヤな予感が私の頭を横切る。もしかして…と風呂場を覗いてみると、悪い予感は的中していた。

そこには、黒いカビが、点々とお出ましになっていたのだ。
「こんにちは!これから末永くよろしくね!」というように。

ビッタモンとて、埃やカビを好きにはなれない。ここらへんが中途半端な私。
散らかってるのは平気でも、カビや埃は苦手なのだ。おまけにアレルギー持ちなのだ。

「全ては勇者様のお蔭だったのですね…」 カビキラーを握りしめ、母を想って立ち尽くす。
しかし、おかあさーんと叫んでみても、勇者様はいないのだ。私が闘うしかないのである。

そうして、この100%自業自得の果てしなき闘いは、続いていくのだった。

 

そんなビッタモンにも、恋の季節はやってくる。新生活の中で仲良しのお友達も出来た。

そうなると、その愛すべき人々を「自宅に招きたい」と思う事も増えてきた。

しかし、我が部屋はビッタモンの棲家。常にとっ散らかっていて、そんな事許されるワケがない。
しかも、ソトヅラのいい私は、自分が「悪魔怪獣ビッタモン」である事を、ひた隠しに隠している。

選択肢は二つに一つ。
愛する人々を諦めるか、掃除をするか

私の正体を、誰にも知られてはならない。
人々に忌み嫌われるビッタモンの哀しい宿命(さだめ)…。

意を決した私は、「誰かが来る時だけ」部屋をピカピカにするぞ、と心に誓った。
意を決したわりには、さすが中途半端である。


ある時は飲み屋で「これからアンタんちで二次会!」と勝手に宣言され、ある時は「あと10分でそっち着くから」という電話にウルトラ級のタイムアタックを強いられた。
思えば幾多のピンチがあった。たぶん一部の友人にはバレていたでしょう。

そうして、どうにかこうにか過ごす中、十数年の時が流れた…。

 

 

よく出来た映画には、サプライズがある。
よく出来た推理小説には、どんでん返しがある。
よく出来たゲームには、意外な敵が待っている。

まったく、人生は、よく出来ている。


三十路を少し過ぎた頃、私は現在のツレに出逢う。

私が初めてツレの部屋に遊びに行った日、奴は私を近所のコンビニに放り込み、言った。
「ゆーっくり、オツマミでも選んでて。ゆーっくりね。少なくとも二十分位。」
そうして、脱兎のごとく自分のマンション目指して駆けだして行く。

私はふと、デジャヴのようなものを感じたのだが、その時はそれきり忘れてしまった。
だが、今にして思えばあれが、本当の闘いのゴングだったのだ。


遠慮を忘れた時、人は、その正体を現す。

散らばったカラのCDケースと、そこここに山積されたむき出しのCD盤。
ことごとく蓋の閉まってない調味料の瓶。左右で柄の違うスリッパ。
裏返しのまま丸められたTシャツ、「8の字」のような抜け殻ズボン。
歯ブラシの横に置かれた無意味なシャンプー。何故か押し入れで発見される歯磨き粉。


それらの物と遭遇する度、私は戦慄した。しかもコイツは中途半端ではない。

そんな。チャンとした人だと思っていたのに。ソトヅラだったのかよ!
しかし私の罵声は、虚しく自分に跳ね返ってくるだけ…。

 

己の敵、それは己。 ビッタモンの敵、それは。

嗚呼。こいつこそが最強のボス、「大魔獣ビッタモンキング」だったのだ。

 

私がツレの事を親しい友人に愚痴ると、「因果応報ね」と言う。やはりバレていた。

それにしても天は、なんと見事な裁きを下されたのだろう。

かつて私が倒された聖なる剣(←掃除機)を、今こそ私に握れと仰るのですね?
この大魔獣を成敗せよと。あの勇敢な母のように。
さすれば私の罪は許されるのですね?やっと永い闘いは終わるのですね?

 

しかし、哀しいかな、しょせん私は中途半端なビッタモン。
自分の事さえおぼつかないのに、人の世話まで焼けません。

  

そんな思いを同じくして、私たちは散らばったゴミの中、それぞれの世界へ逃避する。

ある者は惰眠へと。またある者はニンテンドーDSへと。

徐(しず)かなること林の如く 動かざること山の如し

 けだるい夏の昼下がり、ゴミを掻き分け掻き分け、猫だけが無情に通り過ぎていく…。

 

私たちの正体を、誰にも知られてはならない。

来客を報せるチャイムが鳴る。絶体絶命のノックが響く。

 

果てしなき闘いは、今日も続く。

 

 

 

本日の一曲:「今日もどこかでデビルマン」 (デビルマンエンディングテーマ)

  

↑ デビルマンの部分をビッタモンに替えて、みんなで歌ってみよう! 

2007年9月8日土曜日

愛するという意志

 

「愛は、意志の力だと思う」と、その人は云った。

 

遠い遠い昔、恋人だった人が、私に告げた言葉だ。


そして、別れる事もまた、意志の力が必要だと、その人は続けた。

意志を伴わない愛を貫くのが困難なように、愛情が残っているのに、別れる意志を貫くのはきっと困難だろうと。

 

私はモノクロの景色を眺めるように、どこか気持ちの遠い所で、その言葉を聞いていた。

なぜなら、それはつまり、「さよなら」の言葉だったからだ。


「でも、もう、決めた」 と、その人は、静かな凛とした声で、最後に云った。


そうして、その人は遂に意志を貫き、私たちはそれぞれ「一人」になったのだ。

 

 

私は長い間、「愛は意志の力だ」という言葉の意味がわからないでいた。

そして、この言葉に、少なからず反発を感じてもいた。

愛情は意志とか決意とかそういうものではなかろう、もっと自然に湧き出てくるものじゃないのか。
好きだという自分の感情に、ただ素直でいればいいんじゃないの、と。

愛情が残っているなんてまどろっこしい事を云わずに、ただ、嫌いになったと云えばいいのに。

意志の力を借りなければ愛せないという意味ならば、愛してくれなくてもいいよ。


あの言葉の意味がおぼろげながらわかってきたのは、それから二十年近く経ってから。
つまり、恥ずかしながら、かなり最近の事なのである。

 


少し前に「誰も知らない」という映画を観た。

誰も知らない
誰も知らない


カンヌ映画祭で、柳楽優弥くんが史上最年少で最優秀男優賞を受賞した事でも有名な映画だが、
実際に起こった「子供置き去り事件」を元に描かれたこの物語、観る前に覚悟をしていたものの、
やはり重い重い気持ちにさせられる映画であった。

 

まずは、物語の母親に言いたい。この大バカヤローと。

それを最初に叫んでおかないと、この女の立場になって考えてみる、という気持ちになれないのである。

世間から子供の存在を隠して生活し、好きな男が出来たら子供達からトンズラとは。
隠されていた子供たち、その存在を誰も知らない子供たちは、たまったものではない。

この母親に同情する余地はないが、私が愕然としたのは、この母親がこの女なりに「子供たちを愛していた」という事である。

貧しいながらも、じゃれあっているかのような微笑ましい会話をする、家族の食卓のシーン。

この女は、子供達を「好き」なのだ。 


それを知った時、私は思わず、つぶやいた。

でも、それは「愛」じゃない。 そして同時に、自分の言葉に戸惑った。

じゃあ私は一体、何が「愛」だと云うつもりなのだろう。

 

この母親は、私は幸せになっちゃいけないの?と問う。
事もあろうに、自分が捨てようとしている息子に向かって、それを問うのである。


恋愛関係に置き換えれば、よくある話かもしれない。

息子達は好きだが、新しい恋人はもっと好き。何がいけないの?
アナタの事は好きだけど、アノヒトの事はもっと好き。何がいけないの?

親子という状況であったからこの母親の無責任さに憤りをおぼえる。
が、この女が「母親」でなかったとしたら。

感心できる話ではないが、許せない、とまで思っただろうか。

少なくともこの女は、自分を「親」と思っていないフシがある。
息子を「一人前の男」と見て頼り切っているような印象さえある。
自分はか弱い「女」であり、男に「幸せにしてもらう存在」だと。

そんな心の幼稚さが悲劇の要因なのだろうが、もうひとつ私は、この女には決定的に欠けているものがある、と感じた。


この女の愛には、愛するという「意志」が、全く無いのだ。

 

私には、子供はいない。
だから、親の視点に立つ事は難しい。が、子供の視点で考える事は出来る。私もかつては子供だったから。


私の母は今でいうシングルマザーで、生活も、豊かではなかったと思う。
母は親子して生きるために仕事を優先していたから、家の事が後回しになる事も多かったし、私が熱を出しても、仕事を休んだりできなかった。

若い頃心臓の弱かった母は、自分に万一の事があった時のため、密かに「遺言書のようなもの」を書いていた。
私は子供の時何かの折にヒョッコリそれを見つけ、誘惑に勝てず読んでしまった。

おそらく伯母(母の姉)に宛てたものだろう、「娘の未来を頼みます」というような言葉が綿々と綴ってあったのだが、字は下手だけれども「強い意志」の込められたその手紙を読んだ時、あの大雑把な母のどこにそんな深い想いがあったのかと、心底驚いてしまった。それからチョッピリ泣いてしまった。

え~、お母さん、黙ってたけど、アレ、盗み読みしちゃいました、ごめんなさい。


私は、母が帰ってこない事を心配した日は一日もない。

それは、なんと幸せな子供時代だったのだろうと、今にして思う。

 


ところで話は変わるが、現在の私の伴侶(ツレ)は、決して、熱烈な恋の果てに…とかいう相手ではない。
ロマンティックな事も、ドラマティックな事も、あまり無かった。初めてデートしたのもゲームセンターだった。


でも、私が生まれて初めて、この人と一緒に生きてみよう、と思った人だ。

愛とは自由なもの、心のままに形を変えてゆくもの、と思っていた私が、初めて「変わらない明日」を考えた相手である。

 

そんなツレとも、もう十年。四年前に家族に加わった猫と共に、今日も平和に生きている私。

「ねえ、私らが万一交通事故にでも遭ってさー、二人とも一緒に死んじゃったらマズくない?」
「そっか、遺言書いとこう、全財産お譲りしますから、どうかどうか猫をよろしくって。えーと、誰に書く?」

自分たちだけでなく、猫の未来も心配で、真剣に遺言の文面を考えたりしている。

その変な遺言書の白羽の矢が立った気の毒なお友達の方、こんな私らはきっと大丈夫だから安心して下さい。

 

 

そんな生活の中で、ふと昔を思い出す。

「可愛いがってるだけ」で、病気になって様子がおかしいのさえ気付かなかった、昔の愛猫のこと。

「好きだから」何でも許してくれると、傷つけていることさえ気付かなかった、昔の恋人のこと。


私はあの映画の母親とは違う。断じて違う。 しかし、よく似ていた、のかもしれない。


昔の私は誰かとの「未来」を真剣に考えた事など無かった。

自分の感情だけには忠実な、垂れ流しの愛だった。

私の愛には、「意志」が無かった。


だから、あの人は、さよならを云ったのだ。

 

 

こんな風に考えるようになるなんて、私も年をとったってわけかな。

心のままに生きる人生にも、やっぱり未練はあるかな。


とはいえ今だって、心のままに生きてる、といえなくもない。 

もう十年先も、今と同じ場所で、同じ人の横で笑っていたい。それは、心のままの想いだ。


若い自分を思い出すと、甘くて、切なくて、ちょっぴり羨ましいけど。

 

でも、いいんだ。  もう、決めた、のだから。

 

 

 

本日の一曲:「古い日記」 和田アキ子
  

 

 

 

2007年9月1日土曜日

運命の恋

 

それまで私は、「ひとめ惚れ」というものを経験したことがなかった。

 

四年ほど前のある日、私はツレと近所に買い物に出かけていた。
生活用品を買い、食事をし、最後にゲームショップに寄って、ソフトを数本購入した。

さあ、帰ろうという段になって、ツレが「ペットショップに寄ろう。」と言う。またか。
ペットショップは、ゲームソフト店の目と鼻の先にある。この店に来ると、いつもこうだ。

ツレは大の動物好きである。
私が、いつだったかフッと「猫と暮らしたいなあ」と言った事を、しつこく覚えていた。
今日こそ私を「陥落」させるつもりだろう。

私とて、動物は大好きである。ひょっとしたら人間より好きかも、と思うほどに。

しかし、長い間、心の底に澱のような「わだかまり」があったのだ。

 

私は高校生の時、家で猫を飼っていたのだが、私の無知と不注意で病気にしてしまった。

気がついた時には、もう手の施しようがない状態だった。

仕方なかったと、母は何度も言った。おまえは、やるだけの事はやったよ。

でも、私が無知でなかったら。 あのチビの未来は、もう少し長く続いていたんだろうに。


あの日から、私を無邪気に愛し、信じ、ついて回っていた小さな命の面影が、私から離れなくなった。

 

 

ツレは、腹が立つほど明るい性格である。
私がそんな話をしてもおかまいなしに、ニコニコと私をペットショップに引っ張っていく。

でもね、私はもう二度と、猫を連れて帰る日は来ないと思うんだけど。

まあ、親とはぐれてひとりぼっちで雨に濡れているとか、怪我をしてるとか、「助けを必要としている」状況ならともかく。
だけど綺麗なペットショップに、そんな子はいないだろうし。

そう考えていた私は、いつものように気楽に、ペットショップへと足を向けた。

 

 

ガラスの扉が付いた小さな部屋が、マンションのように並んでいる。

その中にいる沢山の子猫や子犬を、順番に覗いていく。みんな可愛い。

 

と、あるガラス扉の前に立ち、私はプッっと吹き出した。

目を半開きにして、なんとも形容しがたい変なカッコで寝ている子猫。

なんだコイツ。寝相悪いやっちゃなあ。どれが手でどれが足だ?


ずっと見ていたい気もしたが、寝てるしなあ。そっとしとこう。

 

再び順番に、他の小部屋を見回り始め、最後の子猫まで覗き終わった。

ふと、さっきの寝相悪い奴を、もう一度見たくなった。帰る前にもう一度、笑わせてもらおう。


急いでさっきの小部屋の前に戻ると、予想に反して、子猫は起きていた。

私が見つめると、奴も私をジッと見る。

さっきは気付かなかったが、他の子猫より、ひとまわり小さい。不安になるほど、小さい。


突然、この子猫の部屋の「真下の部屋」のガラス扉を、店員が鍵で開けた。

隣の親子連れの客に要請されたからだろう、「真下の部屋に入っていた子猫」が、親子連れに渡される。


途端に、「私が見ていた方の子猫」の様子が、変わった。

顔をガラスにくっつけんばかりにして、下の成り行きを見ていたらしいこの子猫は、驚いた事に、ガラス扉の取っ手のあるほう、鍵穴のあたりを、小さい手で、ぱんぱん叩きはじめたのだ。


そこが開く事がわかるの? そこから出られる事が? おまえ、小さいのに、賢いな。


感心して、呆然と眺めている私を、商売熱心な店員は見逃さなかった。

「抱っこしてみますぅ?」という質問に対して、私は質問を返した。

私「この猫、他の子猫と比べて、小さすぎないですかね?」

店員「え?あ。大丈夫ですよ、とーっても健康ですから♪

私の心の声:(そういう意味じゃねえようっ、売りに出すにはちーっと早かったんじゃね?って言ってんだようっ。それにこの子だけ誕生日不明って…まさかおととい生まれたとかじゃないだろーなっっ!?)


私が心の中で気弱なツッコミを入れている隙に、まんまとガラスの扉は開かれてしまった。

なにやら、のっぴきならない事態になりつつあるのを、私は心の遠い所で感じていた。


ワシも出せーと扉を叩いていた、さっきの勇ましさはどこへ。

子猫は、私にガッシとしがみつき、震えて、そのまま離れようとしなかった。

あのガラスの部屋には帰りたくない。 それくらい、私にもわかる。

 

ツレが、勝利の笑みを浮かべた。 店員が、審判のように、私に告げる。

「運命ですよ♪」

 

アンタに言われるまでもない…。 もう、ダメだ。 ゲームセット、だった。

 


この子が初めて家にやってきた日の夜、私には忘れられないシーンがある。


深夜、不意に目を覚ました私は、子猫が眠っているはずのほうを見た。

私が即席にこさえた小さなベッドの中で、子猫は眠らずに私の顔を見ていた。

身じろぎもせず。鳴きもせず。不安そうな顔で、ただ、私を見つめていた。


長い長い間、私を苛んできた小さな面影が、その姿と重なった。

 

いつか。できるだけ遠い将来である事を願わずにはおれないが。

私はこの姿を、想い出すのだろう。

その時こそ私は、どうしたらいいんだろう。

 


少々気弱な所はあるが、今は元気なオトナになった。身体もどーんと大きくなった。

ニャンニャン我儘言いたい放題。控えめだった子猫時代が、ちょっと懐かしくなるほどだ。

 

私を無邪気に愛し、信じ、ついて回る小さな命。


そうか。 いっぱいいっぱい思い出せばいいんだ。

あのガラス扉を、ぱんぱんと叩いていたシーンも。

この子が、自分で未来を勝ちとった場面。 私を運命の恋に、叩き落とした場面。


忘れられなくても、いいんだ。

 


私は、この子の「未来」を、これから眺めようと思う。

それから、ちょっとだけ、そのお手伝いをしようと思う。

忘れられない想い出を、もっともっと増やそうと思う。


ひょっとして、それはなんだかとても、幸せな未来ではないだろうか。 ねえ?

 

 

本日の一曲:「キャンディ」 原田真二