2007年9月1日土曜日

運命の恋

 

それまで私は、「ひとめ惚れ」というものを経験したことがなかった。

 

四年ほど前のある日、私はツレと近所に買い物に出かけていた。
生活用品を買い、食事をし、最後にゲームショップに寄って、ソフトを数本購入した。

さあ、帰ろうという段になって、ツレが「ペットショップに寄ろう。」と言う。またか。
ペットショップは、ゲームソフト店の目と鼻の先にある。この店に来ると、いつもこうだ。

ツレは大の動物好きである。
私が、いつだったかフッと「猫と暮らしたいなあ」と言った事を、しつこく覚えていた。
今日こそ私を「陥落」させるつもりだろう。

私とて、動物は大好きである。ひょっとしたら人間より好きかも、と思うほどに。

しかし、長い間、心の底に澱のような「わだかまり」があったのだ。

 

私は高校生の時、家で猫を飼っていたのだが、私の無知と不注意で病気にしてしまった。

気がついた時には、もう手の施しようがない状態だった。

仕方なかったと、母は何度も言った。おまえは、やるだけの事はやったよ。

でも、私が無知でなかったら。 あのチビの未来は、もう少し長く続いていたんだろうに。


あの日から、私を無邪気に愛し、信じ、ついて回っていた小さな命の面影が、私から離れなくなった。

 

 

ツレは、腹が立つほど明るい性格である。
私がそんな話をしてもおかまいなしに、ニコニコと私をペットショップに引っ張っていく。

でもね、私はもう二度と、猫を連れて帰る日は来ないと思うんだけど。

まあ、親とはぐれてひとりぼっちで雨に濡れているとか、怪我をしてるとか、「助けを必要としている」状況ならともかく。
だけど綺麗なペットショップに、そんな子はいないだろうし。

そう考えていた私は、いつものように気楽に、ペットショップへと足を向けた。

 

 

ガラスの扉が付いた小さな部屋が、マンションのように並んでいる。

その中にいる沢山の子猫や子犬を、順番に覗いていく。みんな可愛い。

 

と、あるガラス扉の前に立ち、私はプッっと吹き出した。

目を半開きにして、なんとも形容しがたい変なカッコで寝ている子猫。

なんだコイツ。寝相悪いやっちゃなあ。どれが手でどれが足だ?


ずっと見ていたい気もしたが、寝てるしなあ。そっとしとこう。

 

再び順番に、他の小部屋を見回り始め、最後の子猫まで覗き終わった。

ふと、さっきの寝相悪い奴を、もう一度見たくなった。帰る前にもう一度、笑わせてもらおう。


急いでさっきの小部屋の前に戻ると、予想に反して、子猫は起きていた。

私が見つめると、奴も私をジッと見る。

さっきは気付かなかったが、他の子猫より、ひとまわり小さい。不安になるほど、小さい。


突然、この子猫の部屋の「真下の部屋」のガラス扉を、店員が鍵で開けた。

隣の親子連れの客に要請されたからだろう、「真下の部屋に入っていた子猫」が、親子連れに渡される。


途端に、「私が見ていた方の子猫」の様子が、変わった。

顔をガラスにくっつけんばかりにして、下の成り行きを見ていたらしいこの子猫は、驚いた事に、ガラス扉の取っ手のあるほう、鍵穴のあたりを、小さい手で、ぱんぱん叩きはじめたのだ。


そこが開く事がわかるの? そこから出られる事が? おまえ、小さいのに、賢いな。


感心して、呆然と眺めている私を、商売熱心な店員は見逃さなかった。

「抱っこしてみますぅ?」という質問に対して、私は質問を返した。

私「この猫、他の子猫と比べて、小さすぎないですかね?」

店員「え?あ。大丈夫ですよ、とーっても健康ですから♪

私の心の声:(そういう意味じゃねえようっ、売りに出すにはちーっと早かったんじゃね?って言ってんだようっ。それにこの子だけ誕生日不明って…まさかおととい生まれたとかじゃないだろーなっっ!?)


私が心の中で気弱なツッコミを入れている隙に、まんまとガラスの扉は開かれてしまった。

なにやら、のっぴきならない事態になりつつあるのを、私は心の遠い所で感じていた。


ワシも出せーと扉を叩いていた、さっきの勇ましさはどこへ。

子猫は、私にガッシとしがみつき、震えて、そのまま離れようとしなかった。

あのガラスの部屋には帰りたくない。 それくらい、私にもわかる。

 

ツレが、勝利の笑みを浮かべた。 店員が、審判のように、私に告げる。

「運命ですよ♪」

 

アンタに言われるまでもない…。 もう、ダメだ。 ゲームセット、だった。

 


この子が初めて家にやってきた日の夜、私には忘れられないシーンがある。


深夜、不意に目を覚ました私は、子猫が眠っているはずのほうを見た。

私が即席にこさえた小さなベッドの中で、子猫は眠らずに私の顔を見ていた。

身じろぎもせず。鳴きもせず。不安そうな顔で、ただ、私を見つめていた。


長い長い間、私を苛んできた小さな面影が、その姿と重なった。

 

いつか。できるだけ遠い将来である事を願わずにはおれないが。

私はこの姿を、想い出すのだろう。

その時こそ私は、どうしたらいいんだろう。

 


少々気弱な所はあるが、今は元気なオトナになった。身体もどーんと大きくなった。

ニャンニャン我儘言いたい放題。控えめだった子猫時代が、ちょっと懐かしくなるほどだ。

 

私を無邪気に愛し、信じ、ついて回る小さな命。


そうか。 いっぱいいっぱい思い出せばいいんだ。

あのガラス扉を、ぱんぱんと叩いていたシーンも。

この子が、自分で未来を勝ちとった場面。 私を運命の恋に、叩き落とした場面。


忘れられなくても、いいんだ。

 


私は、この子の「未来」を、これから眺めようと思う。

それから、ちょっとだけ、そのお手伝いをしようと思う。

忘れられない想い出を、もっともっと増やそうと思う。


ひょっとして、それはなんだかとても、幸せな未来ではないだろうか。 ねえ?

 

 

本日の一曲:「キャンディ」 原田真二

 

 

 

 

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