2007年12月20日木曜日

己の役割


戦闘の要素を含むRPGには、大きく分けて四つの「役割」があるという。

ヒーラー(回復)、ディフェンダー(防衛)、サポーター(支援補助)、そしてご存知、アタッカー(攻撃)である。

 

四つの役割といっても、実際は一人がその役割のいくつかを同時に兼ね備えている事が多いし、いわゆる「花形」の攻撃役以外は、その存在が目立たない事もある。
極端な話、一人のキャラクターのみを操作するオフラインRPGの場合(ゼルダの伝説など)、その性質上一人で全てを担う事になろう。私は勝手に「勇者型RPG」と呼んでいるが。

しかし、そのゼルダの伝説においても、上の四つの役割をちゃんと含んでいる。
ハートや薬でタイミング良く回復し、敵の攻撃をかわし盾で防御し、知恵を絞って敵の力を弱め、スキを逃さず攻撃に転ずる。
ボスクラスになると、闇雲に攻撃しているだけでは決して勝てない。
この四つの要素をうまく組み合わせないと、エンディングを見る事は不可能だろう。やはり面白いゲームだと思う。

ならば、オンラインRPGは「役割分担」するのに、最も適したゲームかもしれない。
オンラインという以上、他者がいる世界。
「他者」がいるのだから、一人で全てを担う必要はない。一人一人は不完全でもいいのだ。
己一人が世界をしょって立つ「勇者」であると、気負う事はないのだ。

しかし。そのかわりに、いつか必ず、他者の力が必要になる。

各々が不完全でその上「他者」なのだから、大抵は、もどかしい思いをする事になる。
時には、不愉快で哀しい思いをするハメにもなる。
他者と関わらなければ知らないですんだ「無力な自分」に気付く事もある。

ただ、一人では決して辿り着けない未知の場所へ行ける事がある。
宝箱に入った「宝石」を、手に入れる事がある。
他者と関わらなければ知らないでいた「自分の力」に気付く事もある。

 

私は、世間のようなもの、と思っている。

 

以下は、私がプレイしている某MMORPGで、実際に経験した戦闘の一コマを妄想演出したものです。
描写が無駄に劇画チックなのは、単なる私の趣味であります、ご了承下さい。

 

 

男は、仲間の後ろで、じっと皆の動きをみつめていた。
戦いが拮抗する中、はやる心を抑え、静かに待っていた。
焦ってはならない。ひとまず仲間の体力は充分だ。
ここで余計な行動をした挙げ句、イザという時に動けなくなったら意味がない。待つ事も自分の仕事だから。

突然、仲間の全員が息を呑んだ。一瞬の出来事だった。

仲間の一人が、敵の渾身の一撃を受け、その刃の前に倒れたのだ。

驚くより先に、男は動き出した。
仲間を蘇らせる唯一の技。自分にしか唱えられない術。
せっかく倒した者をむざむざ復活させてなるものかと、敵達は死にものぐるいで自分を狙ってくるだろう。
そしてなにより、この技を持つ自分が倒れた時、全ては終わってしまうのだ。
怖い。 だが、迷いはなかった。男は仲間を信じて、高らかに宣言した。 「蘇生」と

その声を受けて、鋼の鎧に身を包んだ大男が、仲間を庇うように敵の前に躍り出る。
まかしとけ。奴らの攻撃なんぞ、蚊が刺すほどにも感じねえ。全部まとめて引き受けてやらあ。
そして、自らに誓うように、静かな声で云った。これ以上、俺より先に倒れる事は許さない。
男は両手をいっぱいに広げると、敵の眼前で、声の限りに叫んだ。
「おらおら来やがれ、このへっぽこヤロウども。てめえらの相手は俺だ!」

まったく、いいカッコしちゃって。小柄な女がつぶやく。
あの男ときたら、本当に全ての攻撃を受け止めるつもりだ。
唯一の回復役が蘇生に入った以上、彼への「回復」は少し先になるだろう。
あの愛すべき大男は、どこまで立っていられるのか。
仲間を守り癒す力も、敵をなぎ倒す力も無い、非力な自分に出来る事は?
女は瞬時に判断した。時間を稼げ。敵の邪魔をするのだ。
今仲間を一撃で倒したアイツ。奴だけは自由にしておくものか。
「少し、痺れてもらうわよ。」
そして驚くべき素早さで敵の後ろに回り込み、その後頭部をパコンと蹴った。

 

かくして、「蘇生」の祝福が、倒れた仲間の身体を優しく包む。

気の強そうな顔の女が、むっくりと起き上がる。

ああ、痛かった…。
ふう。手数かけてすまなかったね、みんなありがとう。
美しいしなやかな指で、重そうな剣をヒョイと握り直す。さあて、と。
「それじゃそっちの坊やたち、お返しさせてもらうけど、覚悟はいい?」
そう云って、光る剣先を一直線に敵に突きつけると、片方の眉をツンと上げ、天使のように微笑んだ…。

  

(この物語は仮想世界内の出来事に基づいていますが、登場人物の心理および台詞および一部の動作は、しつこいようですが私の妄想です。


…さて。
この脳内妄想物語をツレに無理矢理語って聞かせたところ、少々引き気味に「そんだけの想像力があれば、さぞゲームも楽しいだろうねえ」と誉めてくれた。ええ、確かに楽しいです。

とはいえ、その戦いは確かにいつもと違っていた。
最初から最後まで、仲間が何をしようとし、自分が何をするべきなのかが、美しい調べのように「聞こえていた」、稀有な戦いだったのだ。

一時間にも及ぶ激闘の末、敵の最後の一人が静かに倒れた時、なにやら現実に感動を覚えている自分がいた。
初めて逢った他人と、これほど息の合った戦いが出来た事に。その「調和」の一環として自分が存在出来た事に。

静かな興奮でボーッと勝利画面を見つめる私の目に、仲間の言葉が飛び込んできた。回復役だった。

「勝った!アンタら最高。涙で画面が見えません(T^T) ほんとにありがとう、楽しかった」

きっと彼の胸にも、よく似た妄想物語が、熱く展開されていたに違いない。

 

「現実」の世界でも、似たような気持ちを経験した覚えがある。

クラス対抗の合唱大会、直前にピアノが壊れ、ぶっつけ本番で友人と共にギター伴奏した時。

負けていたソフトボールの試合、味方の打ったヒットで、髪振り乱してホームベースに向かって走った時。

美術部の共同制作で、皆で「サファリ」を描いていた一ヶ月、ひたすら象、象とつぶやきながら象だけを担当していた私の前に、動物の群れが躍動する「サファリ」が姿を現した時。

 

まるで、宝石をみつけたような、不思議な気持ちになったのを覚えている。

思えば、それらの出来事には共通点があった。

誰かを必要とした事、誰かが必要としてくれた事、そして、その時の「自分の役割」を知った事、だ。

 

人は、己の役割を知ると、自分を、他者を、真に好きになれるのではないかと思う。

そしてその役割は、本人が気付く気付かないにかかわらず、誰もが皆持っているのではないかと思う。

 

私も、未だ、探している。

大人になって、あんな気持ちになれる事は、とんと少なくなった。

でも、私の宝石は、きっとあるに違いないと、今もウロウロ探している。

 

ところで余談だが、先の「妄想物語」で、私が受け持った役割は「サポーター」であった。

ゲームの世界においては、回復役も盾役もアタッカーも一通り経験した。

どれも楽しかったが、なぜだかサポーターが一番性に合っているようだ。

 

他者を守る強さも、癒す優しさも、リードする行動力も無い、非力な私に出来る事は?

 

それが何なのかまだわからないし、ゲームのようには、カッコよくいかないだろうけど。

「サポート」という役割に、私の宝石が眠っているんじゃないかな…と、ふと、思ってしまうのだ。

 

 

 

本日の一曲:「世界に一つだけの花」 槇原敬之

   

この人は「天才」という称号より「人間」という表現が似合うアーティストだと思う。
彼の「名曲」を見つけるたび、この人はさぞ苦労した人なんだろうな…
と、年寄りじみた感想をもらす私。これぞ老婆心というものか。

「そうさ僕らは世界に一つだけの花、一人一人違う種を持つ…」

この歌を聞くと、取り柄のなさそうな自分の中にも、綺麗な花が在るのを知る。
ああ、癒されていく。ありがとう、明日も生きていけそうです。
槇原敬之。 ヒーラー(回復役)としての素質もあるとみた。