2009年3月4日水曜日

触れもせで

 

私はあまり友人が多い方ではない。

そしてその数少ない友人も、年に一度の年賀状でかろうじて近況を教え合うか、ごくごくたまーに電話で話をする程度の、静かな静かな間柄である。
割とよく逢っているつもりだった友人が先日遊びに来た時も、実際には2年ぶりだった事に気づき愕然としたくらいだ。

面白いもので、性格というものは、別のキャラを演じている筈のゲームの中でも発揮されてしまう。
そう。私は仮想世界においても、やっぱり友達少ないのである。

 

藤山直美さん主演の「顔」という映画の中で
「友達って、おらなあかんの?」という名台詞がある。

顔 [DVD]
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冗談抜きで、私の座右の銘であります
私が言うとなんとなーく情けないが、映画を観るとホントに名言だと思う。 

 

それはともかく、大規模なオンラインゲームやコミュニティのみならず、短い言葉や文章の中でさえその人格は顕れてしまうというのは、長年ネットの世界をウロウロしていて実感するトコロである。

 

もう5年近くもプレイしているオンラインゲームだが、最初の頃は、こんな私にもそこそこ知人が出来た。

最初に出来た知人は、行動的というか「押しの強い」人だった。

この人はいつもリーダーをしていて、また、とても知人の多い人であった。
頻繁に対話をくれたし、また頻繁に誰かと話している様子でもあった。
一緒にいると、沢山の人が手を振ったり挨拶をしてくるのだ。
おそらく、リアルの世界でもそうなんだろうなあ、と私はボンヤリ思っていたものだ。

しかし私は、彼を「友だち」と呼ぶのには少し抵抗があった。所詮ゲームの世界の人だから、ではない。

彼にとてもよく似たタイプの人を、現実に知っていたからだ。

頼み事がある時だけ、電話をしてきた昔の友人。
無邪気で明るくて行動力があって憎めなくて、しかし遂に一度もこちらの気持ちも都合も考えてはくれなかった、昔の友人。

彼に頼まれ事をするたび、後味の悪い別れ方をした、昔の友人を思い出した。

 

「急ぎだから」と唐突に頼まれた装備品を生産しながら、心の狭い私は、「頼まれ事は、これきりにしよう」と決めた。

次の頼みをやんわり断った後、彼から二度と対話が来る事は、なかった。

 

 

それから少し経った頃だろうか、新しい知人が出来た。

彼の方は全く逆で、とても内気で静かな人だった。

何度か偶然冒険で一緒になったのだが、言葉数は少ないけれども、その少ない言葉と態度に誠実さと大人っぽさが感じられて、珍しく私の方から積極的にお願いして、フレンド登録してもらった人だ。

彼は恥ずかしそうに、私の事を「初めて出来た知人です」と言ってくれた。

老婆心ながら、彼はリアルの世界でも、友人の「数」は多い人ではないだろうな、と思う。

 

ある日、私のキャラが、とあるクエストで詰まった。
私のレベルでしかもソロで倒すには強すぎる敵を、どうしても倒さなければならなくなった。

こういう場合、リーダーになってパーティを作る必要があるのだが、なにせリーダー属性ゼロの私である。
ゲームに慣れた今でこそ仕方ない場合はする事もあるが、当時の私は、初心者の上、極端な引っ込み思案ちゃんであった。
自分の紹介文に「○○のクエストにどなたか入れて下さい;;」と書いてボーッと待つのが関の山だった。

私は彼にその事を話した覚えはないのだが、突然彼から対話が来た。
顔を合わせれば声をかけあうが、突然の対話とは彼にしては珍しい事だ。

「あるクエストで困っているので、良ければお手伝いして貰えないかな?」という。
あるクエストとは、まさに私が詰まっているクエストだった。

これぞ渡りに舟、である。お手伝いも何もこちらからお願いしたい事である。

ラッキー♪とばかりに指定された場所に行ってみると、なんと彼がリーダーだった。
私に負けず引っ込み思案な彼が、意を決して集めたのであろう高レベルな人たちが集結していて、
「やる時はやるんだなあ」と少なからず尊敬したのを覚えている。
彼の的確な采配で、クエストは難なくクリア出来た。


カンのいい方なら、お気付きでしょう。

彼は私を助けるためにパーティを作ってくれたのだ。私の紹介文をどこからか見て。
しかも私が気を使わないよう、配慮までして。

おめでたい私がやっとそれに気付いたのは、それからだいぶ経ってからである。


余談だが、「なりたい人より、させたい人」という名言は誰が云ったものだったか。
内輪揉めばかりしている日本のエライ人の世界を見ていると、この言葉を思い出す。

 

数年も経って、彼に尋ねた事がある。あの時、本当は私を助けてくれたんでしょう、と。
すると「そんな事があったかなあ。もう忘れました。」とサラリとかわされた。

私が知る限り、彼がリーダーをしていたのは、あの時一回だけだ。
内気な彼にとって決して楽ではなかったであろうあの出来事を、忘れているわけはないのに。

そうだった。彼はこういう人だった。

真のリーダー属性というのは、ひょっとして彼のような人が持っているのかもしれない。

 

 

私も彼も、長い期間プレイしている割には呑気なライトプレイヤーで、時々長い間インしなくなる事は、お互いよくあった。
しかし、彼が毎年楽しみにしていたイベントにも現れなかった時、確信した。

あ、もう、こないな。

はっきりそう思ったのは、私自身が、このゲームに疲れていたせいもある。
呑気なライトプレイヤーが遊ぶには、少々窮屈な世界に変わってしまっていた。
私と彼はなんとなく似ている所があったので、彼も同じように感じていたのだろう。

 

私は、その後四ヶ月の間このゲームを休止し、先日、結局舞い戻った。
五年近くもいた世界がやっぱり恋しくなったのと、周りがどうであれ、自分のペースでまったり遊べばいいやと、思い直したからである。


しかし、未練たらしい私と違い、彼は戻ってこなかった。

 

さもあろう。 彼と私は似てはいたが、こういう所が決定的に違う。

はっきりと見切りをつけた世界に、戻ってくる人とは思えなかった。

彼は、内気ではあったが、一度決めたら、潔く実行する人だったから。

 

 

これは彼がやめる少し前の話だが、もし良ければ自分の装備を作ってくれませんか、とメールが来た事がある。

知人になって実に四年も経ってから、初めての本当の「頼まれ事」だった。

彼と私は同じ職業を選んでいたし、彼の方が高レベルだったので少し不思議に思った。
つまり、彼は私が作るよりいいものを、自分で作れる筈だからだ。

しかし、私は喜んで引き受けた。あれほど張り切って生産した事は、後にも先にも、ない。

 

作った物の中で一番良い出来だった鎧を渡すと、これはお礼です、と自作の鎧を私にくれた。

ほーら、やっぱり作れるんじゃないの。

「友だちが作った装備品を着たかったから。」まるで謝るように、彼は云った。

その時「交換」した鎧は、今も私の倉庫に大切に保管してある。もちろん、手放す事は、ないだろう。

 

 

おもに演出家で知られる久世光彦さんが書いた、「触れもせで」という本がある。

触れもせで―向田邦子との二十年 (講談社文庫)
触れもせで―向田邦子との二十年

よくコンビを組んだ脚本家、向田邦子さんとの二十年を書いた随筆集である。

その中でも、やはりメインタイトル「触れもせで」の話が一番心に残っている。

 

(抜粋)

私は二十年の間に向田さんの体のどの部分にも、ただの一度も触った事がない。
(中略)何も私は邪気のない友情をひけらかしているわけではない。ただ、不思議だと思うのである。
原稿の書き過ぎで向田さんが肩が凝ると言っても、私は気軽に揉んであげようという気になった事がない。
その代わり、帰りしなに私の服にゴミがついてても、あの人は注意してくれるだけで、決して手を伸ばして取ってくれようとはしなかった。
(中略)だから、いったい向田さんが暖かい手をしていたのか冷たかったのか、やわらかだったのか骨張っていたのか、私は知らない。
(中略)決して知る機会がなかったことを悔やんでいるわけではない。もし向田さんが今日まで生きていたにしても、私とあの人の手が触れ合うということはやっぱりなかったと思うのだ。

  

なぜだかはわからないが、私はこの話が大好きなのである。

 

もし、あなたのまわりに、長いこと親しくしているくせに、指一本触った事がない人がいたら、その人を大切にしなさい。

 

と、いう言葉で、この話は締め括られている。

この名文を書いた久世さんもまた、故人になってしまった。

この言葉もまた、私の座右の銘だ。

 


彼と私は、たまに他愛ない話をしたり、思い出したようにゲーム内のメールをやりとりしたりする程度で、端から見ればたいして仲よさそうにはみえない友人同士であっただろう。実際、長い付き合いのわりに一緒に冒険したのは、数えるほどである。

今まで「彼」と書いてきたが、お互いの年齢や性別が話題に上った事もないし、私も彼も尋ねた事はない。

彼のプレイしているメインキャラが男性キャラだったから、というだけだ。

彼の一人称は「私」だったし、女性だったとしても不思議はない。
若い人だったとしても年配の方だったとしても不思議はない。

つまり、現実の「彼」について、私は殆ど何も知らない。

 

ただ一度、私が「大阪は今日は雨ですよ。」と云うと、

「大阪かあ。知り合って何年も経つのに、今初めて知りました、可笑しいですね。ちなみに東京も雨ですよ。」

と返ってきた事がある。

それが、お互いの現実の世界で知る、全てである。

 

しかし、人を助ける時に、「お手伝いして貰えないかな」という言葉を選んだ人だった。

現実の「彼」の、少なくともその一端を、私は知っていたような気がする。

 

 

東京のどこかの空の下、何か楽しい事と出会っているといいな。気の合う友だちと、笑っているといいな。

 

仮想世界の中に出来てしまった「歴史のようなモノ」をふと思い出して、現実の私は、少々感傷的になったりするのだ。

 

 

本日の一曲:「蕎麦屋」 中島みゆき

 

少年、中年男性、老婆、少女、動物…
その視点の多彩さで、一部のファンから「魔女」の異名をとる中島みゆき。
しかしこの歌は、珍しく中島みゆきという人の素の視点が感じられる歌だと思う。

友だちの優しい間の抜け具合とか。
グシャグシャ泣いてる「あたし」の情けなさとか。

なんとなく貧乏くさい蕎麦屋での情景が、目に浮かんでくる。